プレイヤー環境

 最近ランニングを始めた。

 ここ数年間、コロナ禍で家にばかりいたせいか、漫画や執筆などのクリエイター環境のことばかり考えていた。

 運動といえば定期的に近所のプールには通っていたのだが、そのプールが改修工事のため、しばらく使用できなくなった。なので、しばらくの間ランニングをすることにした。

 ランニングは一般的には手をつけやすいスポーツだと思われているが、それでも快適にプレイするためには、プレイヤー環境についても考えるべきだと思った。ここでお話しするのは、体力向上や技術向上の話ではなく、あくまで「快適さ」の話である。

 ちなみにここで言う「快適さ」とは、主に「荷物」「着替え」「ロッカー」「シャワー」について話す。

 ランニングには屋内施設を使用する場合と、屋外の公園などを使用する場合がある。

 「屋内体育施設」の場合。
 主に困るのはシャワーを浴びるときの荷物置き場。ランニングといえど、そこそこの装備があるのでシャワーを浴びるときに、脱いだ装備を置くスペースが狭いこともある。
 屋内体育施設には、当然ロッカーが設置してあるのだが、たいていの体育施設のロッカーは有料だったりする。ロッカーを自由に開閉できる時間は地域にもよるがロッカーを使用してから15分間くらいだ。運動してからシャワーを浴びるときには、もうすでに時間が過ぎているので、もう一度ロッカーを使用するには、また代金を入れなければならない。
 数分間シャワーを浴びるだけなのに余計にロッカー代を払うのは現実的ではない。

 スポーツクラブやジムなどであれば、ロッカーの開閉は自由な施設も多いと思うが。ランニングをするだけなら市営の体育施設で十分なはずだ。
 なのでその場合は別途スパバック(ジムバック、スイムバック)等を用意して、ロッカーに入れる荷物とは別に持ち運ぶのがいい。トレーニング室にスパバックを置く場所があればの話だが。
 勿論、ロッカー代無料の体育施設があればいい。それは住む地域によって異なる。

 「屋外」の場合。
 一番困るのは屋外である。
 家から走りだし、家に戻るのなら荷物やシャワーについては気にすることはないが、住宅街だと信号もあるし、車も通るので、快適に走れない場合もある。
 そういうこともあり、公園や河川敷を利用したりするのだが、そこにはロッカーがなかったり、着替える場所がなかったり、当然シャワーもないのだ。車を利用できない人なら、なおさら困る。
 
 これについては、長らく手立てがなかったのだが、ここ最近こちらの地域にも「ランステ(ランニングステーション)」というものができたらしい。皇居ランでおなじみのランステ。ランステとはランナー専用のパウダールームのようなもので、こちらの地域ではホテルの一部を使用している。駐車場もあるし、着替えもできる。荷物もスタッフが預かってくれるし、シャワールームもある。

 日本は、各地に良い運動施設がある。運動場も多い。だがプレイヤーが快適に過ごせる環境については、まだまだ考える余地は沢山あるように思う。

残像と幸福論

「人が強い恐怖心に打ち勝つには、それなりの幸福が必要である」

今日は朝から病院に行き、いつも飲んでいる胃の薬をもらってきた。

春頃に胃の調子を崩してから、ずっと強い胃の薬を飲んでいる。

それから大分体の調子が落ち着き、そろそろ弱めの薬に切り替えようかと思っていたのだが、やはりまだ一番調子の悪かった時のことがフラッシュバックされ、今回も同じ薬にした。

まぁ、特別あせる必要もないので少し時間をかけて、ゆっくり治していこうと思う。

人の人生において過去のトラウマの一つや二つはあるものだ。

このトラウマというのは、なかなか厄介なもので、体の調子よりも心の調子の問題となってくる。

ただ今回の胃の病気のトラウマは自分にとっては全然軽い方で、時間の経過とともに回復するはずである。

ただ、トラウマによってはなかなか暗闇から抜け出せない種類のものもあり、しまいには心の調子の悪さが体の調子にまで悪影響をおよぼしてくることもあるのである。

そのトラウマは人それぞれであり、恋愛や災害、何かで上手くいかなかった経験、などなど、人はメンタルの乱れによる影響を受けやすい。

人は外見以上に中身はもろいのである。

対処法としては、カウンセリングを受けたり、同じ境遇の人たちと共有したり、それである程度は気持ちが楽になるものである。

もしそれで元に戻らなかった場合はどうする?

これは自分の経験から話をするが、自分があまりにもつらい経験をし、共有できる人もおらず、ず~とトラウマから逃げられない場合はどうするのか?

その場合、そのトラウマを払拭(ふっしょく)できるくらいの幸福を見つけ出すのである。

映画「ハリーポッター」のセリフを引用させてもらうとするならば「暗闇の中でも幸せを見つけることができる。明かりを灯すことを忘れなければ」ということである。

それが恋愛や結婚だったり、旅だったり、環境を変えてみたり、、、色々試してみて、その時間だけでもそのトラウマが少しでも解消される感触があれば、それが幸福なのだ。

そんな自分にとって幸福だったこと、それは自分が音楽のライブに行くことだった。

環境

ブックオフでオンライン注文していた文章関連の本が届いた。

日本語大辞典が思っていたよりもデカかった。

とりあえず今は少しずつ揃えていこうと思う。

今のプランとしては、こういった資料を集めつつ基本的には図書館で勉強していこう思う。

特に今年の夏は暑いので、部屋でゴリゴリと勉強したくはない。外の環境で比較的こなしやすいのは文章関連だ。図書館は空調が効いているので良い。

文章の知識を使って何かしら作ろうかとも思っているのだが、今のところそういったプランもなく(あったら先に書くと思う)、ただ普段漫画を書いていると、漫画を構成している要素には文章も関わってくる。現状では漫画は家でしか描かないので、それができない状態だと(なぜならクソ暑いからだ)何だか何も進んでいないような気もする(実際には言うほど思っていないのだが)

自分は元々文章というのはあまり得意ではないのですが、年々苦手なものを克服することに喜びを感じるようにもなっている。当然のことながら文章というのは漫画以外の色んなシーンでも使うこともあるし、書いたことを理解しておけば当然喋ることもできるわけだ。まぁ用途が広いってことですな。

環境も家限定ではなく、図書館や多目的ルームなど使えるから環境のチョイスの幅も広いのである。

なので、クソ暑い今はそんな活動を重視しているのだ。

まぁ、文章はこれでいいとして、今ちょっと考え中なのが「絵」である。

漫画を構成する要素には当然絵の要素もからんでくる。

絵だけの環境も少し充実させたいのだが、デジタルだけなら今の環境でもいいのですが、やはりアナログ絵も沢山描ける環境がほしいものだ。

例えば、油絵とかアクリル絵の具を使ったり、イーゼルを使ったり、要するに「アトリエ」ですね。ただ家の環境だとどうしてもそんなスペースがとれない。なのでどこかそういった環境を見つけてやれないかと考えている。

例えば美術館とかにそんな場所がないかなぁ。もしくはキャンプ場とかだと水が使えるからいいのでは?とか考えているのですが、水系は乾かさないとアレだしなぁ。とかちょっとしたハードルもあるように思える。

今の時代はどこでも描けるデジタルのタブレットなどが重宝されているようなのですが、デジタルでなければいけない理由がないのなら、アナログの方が画材選びも楽しいし、感触も楽しめるし、人生が充実しそうな気もするのだが・・・問題は環境なんだよねぇ。それにある程度コンスタントにできるような環境があるといい。

恥は掻き捨て(はじはかきすて)

 まず先に断っておきますが、このブログのプラットフォームは自分で作成したものです。なので通常のSNSのようなルールはなく、比較的自分の自由に書けます。

とは言え、検索ワードに引っかかる時があると思いますので、法に触れるようなことは勿論書かない。

「超RIZIN.2」。

PPVを購入して、じっくり堪能しました。

今回のカードはなかなか良かったと思います。

選手のことはあまり知らないのですが、それぞれ特徴のある試合だったと思います。

やはりコロナ後というのもあったのか分かりませんが外国人選手の存在が光っていたと思います。

またPPVを購入して観ようかな。

格闘技のことはよく分かりませんが、今回の試合を観ていて特に外国人選手と日本人選手の力量の違いがあるという風には感じませんでした。

勿論実際試合をする選手からしてみれば、多少の違いも感じられるのかもしれませんが、どちらも勝つときには勝つし、負けるときには負けるものだと思いました。

試合内容から考察してみると、「アーチュレッタX扇久保」のように、お互いに何度か肌を合わせている者同士だと、お互いの手の内がわかっているだけに、ああいった拮抗した試合内容になっていくんだな。

逆に、「ピットブルX鈴木」になると、今まで肌を合わせたこともないような者同士だと、前評判など覆すような試合結果になっていくこともありうるのだと思いました。

力量があまりにも違う場合は除きますが、RIZINのカードは観る者をハラハラさせるカードが多いと思われる。

さて、ここからはちょっとSNS向きではない内容を書きます。

もしかしたら、このように書かれた方が気に入るのではないかと思いましたので、

「朝倉未来Xウガール・ケラモフ」

試合内容については、あっさり終わってしまったものですから特に感想はありません。

今回はただケラモフ選手が勝って、朝倉選手が負けたということであって、実力差があったとも思わない(試合終了が早すぎてよくわからないというのもあるし、若干私情もからむのだが)。

次やったら勝つかもしれない。

ただ今回の試合に関しては朝倉選手がおっしゃっていたように「ファンに申し訳ない」ということにつきるのでしょう。

やはりここは勝って、もっと盛り上げたかったはずだと思います。

「恥は掻き捨て」

このことわざの詳しい意味について語る気はありませんが、昔とある音楽のライブでこのようなことわざをよく使うミュージシャンに出会いました。

「ライブの恥は掻き捨て」なのだとか。

つまり、ライブという特殊な空間の中では、どんなに恥をさらしてもかまわない。

といったところでしょう。

今回の試合はとても残念でたまらないと思います。それはファンも一緒です。

ただ「恥は掻き捨て」なのです。

何度恥をかいてもかまわない。たとえ大恥をかいたとしても、それは全て掻き捨てとなるのです。

アナログとデジタルの割合

 連日暑い日が続く。

今日は朝から図書館に行き(なぜなら空調が効いているからだ)、文章表現の本を読みながら、ノートに必要なことを書き留めていた。

なんだか学生の自習のように図書館で勉強しているわけだが、最近観た「クイーンズ・ギャンビット」の影響でチェスをしながら作戦をメモしているような気分になれた。

 今日読んだのは「一瞬で心をつかむ文章術」という本で、どちらかというと技術書みたいな部類に入る。

なので多少その本からの抜粋(引用)となるのだが、「文章を書く」という行為はどうやら「後天的」なものらしい。

「文章を書く」いう行為は生まれ持ってのセンスではなく、後から自分で身につけるものである。

つまり多少なりとも文章を書くことができないと、次に進めないのである。漫画も同じで少なくとも絵を描くことができるから描いているのである。

 文章を書くスキルは、漫画を描くプロセスを応用すれば少しは上達するかもしれない。ただ今日実際に作業(メモだけだが)を進めてみて、「ほとんどの作業はアナログで対応できそうだ」と思った。

仮に漫画を描く時のアナログとデジタルの使用の割合を数字で表すとしたら、メモも含めるとアナログが1、デジタルが9くらい。時間のことではなく必要量の割合という意味である。

おそらく文章を書く行為の割合は、漫画とは逆でアナログが9、デジタルが1くらいなのかもしれない。デジタルを必要とする割合がワープロで執筆をする段階くらいしか思いつかない。実際の作業では執筆する前に色々と資料をまとめたりする作業が必要だし、いきなり文章を書くというわけではない。

アナログかデジタルか論争を考えてみると、自分の中でデジタルかアナログかの決め手は、ほとんど効率によるものが大きい。

漫画をアナログでやってしまうと、インクをこぼしたり、消しゴムのカスを取ったり、スクリーントーンを切って手を怪我したりと、色々と大変なことが多い。何よりコスパが悪いのだ。それでもアナログ漫画の作家さんが今もいるのはすごいとは思う。アナログでしか出せない味もあるから。

文章の場合そういった効率の部分では、それほどデジタルの恩恵を受ける部分が少ないかもしれない(ネットで調べ行為は別として)。文字変換や見やすい字にしてくれる部分は大きいとは思うが、それは執筆段階での話だったりする。

ちなみに、今話している「文章」というのは、後天的な努力によって磨かれた文章の話のことである。SNSとかの「言葉」の話ではない。

実際にはもう少し熟考してみないと分からないが、今の時代であっても必ずしもデジタルツールを使用しなければならないという訳ではないのだ。いかに自分にあった環境やツールを見つけ出すかということも大事である。

漫画と体力

漫画のネーム兼下描き中。

デジタルなので、何度も修正可能なのであまり細かくは描かない。

連日暑い日が続いているので、あまり根詰めはしないが明日は休みなので多少は遅くまで描けそうである。

漫画というのは、結構ハードワークみたいで、こんな暑い日に平日ぶっ通しだと必ず次の日にダメージが残る。

今月中にキャラのネーム兼下描きを終え、来月はキャラのペン入れをする計画である。

それと平行して少しずつ文章表現なども学んでいこうと思っている。

なかなかそういった類の資料がドッカと置いてある本屋が見つからず、おそらくブックオフやアマゾンなどで探しつつ、価格面を考慮すると図書館を利用していった方がいいかなと思う。

文章だけの場合だと、絵とは違い装備をコンパクトにしやすい。

ただ今の段階では文章を使ったストーリーなんてものは全然思いつかず、もう少し表現を考えた先にあるのかもしれない。

灯台下暗し

 今日も暑い。この暑さは何なのか?

今年の暑さの中では特にそうなのだが、自分は今までとは違って、この過酷な状況の中で無理やり漫画を描くためにパソコンを起動することをしなくなった。

今までは、どんな状況下であっても、色々場所を変えたりしながら漫画を描ければいいや。みたいなことを考えていて、その環境に合った漫画用のデバイス探しなんてのをやっていたが、どうもそれがベストとは言えない環境であることに気づき始めた。

例えば、単純にipadだけを持って、空調の効いた場所に行ったところで漫画の続きは描けないのだ。

様々な資料や模型やネットに囲まれた場所の方がやはりベスト。つまり家がベストだと言える。

そのベストの環境が暑くて厳しかったら、無理やりやらないようにしている。無理やり部屋にエアコンをつけてまでやるということも現状では考えてはいない。

最近は制作の作業の「負荷」について考えている。

今までは全くそんなことは考えず、黙々とやることだけを考えていたのだが、芥川賞を受賞した市川沙央の会見を聞いていて少し考えが変わったと思う。

市川さんは、「文章を書くというのは負担が軽い作業」みたいな内容のことを言っていた。

この「負荷」というのは、体力的な負荷のことで、制作自体の難しさのことではないと思う(なぜなら文章は難しい)。

自分は自分が漫画を描くときの体力的な負荷のことなど、全然考えたことがなかった。

あぁ、そういうことか!と納得した。

まぁ、漫画は週末に集中的にやるとしよう。

さて、今回のテーマは「灯台下暗し」ということなのだが、何が「灯台下暗し」なのか?というと、それは「言葉」と「日本語表現」についてである。

おおよそ私達が普段話しているのは「言葉」であって「日本語表現」ではないと思う。

自分が思う「日本語表現」というのは、気温や湿度があり、匂いがするものだ。

同じ日本語でも「言葉」と「表現」では違うということだ。

「日本語表現」と言っても、古文のようなものでもなく、難しいものでもなく、おそらく調べればすぐ見つかるものだ。

重要なのはその「組み合わせ方」だと思う。

いかに読み手(聴き手)に違和感なく、気温や湿度や匂いを伝えることができるかだ。

小説の描写表現でも、それらの表現を上手く組み合わせてできた文章は素晴らしい。

音楽で言うと、ユーミンの「春よ、来い」は日本語表現の組み合わせが素晴らしいと思う。

あの歌詞はそれほど難しい表現を使っているわけでもなく、とてもシンプルに、だが気温や湿度や匂いがする歌詞だと思う。

つまり「灯台下暗し」というのは、日本語表現を使いたければ、言葉を学ぶよりも、日本語を学んだ方が、より表現に近づくということだ。

日本語を学ぶなんて「おいおい外人かよ!」って思うかもしれないのだが、その先入観が「灯台下暗し」ということである。

追伸 市川沙央さんの言う通り、文章を書く行為は、漫画を描く行為よりも、体力的な負荷は軽いようだ。そこの環境を新たに構築しようと考えている。

色の名前

今日、図書館で借りた本を読んでいたら、どうも色には名前があるようだ。

どういったものかと言えば、要するに「〜のような色」といったところで、ある程度は知っている。

朱色や昼光色?やら、そんな感じである。

鳶色(とびいろ)なんてものが存在するらしい。

なので、早速ブックオフで注文してみた。

 文章による描写表現

今日は図書館で小説を借りてきた。

二週間後には返却しなければならないので、全部は読み切れないと思う。

最近思うところがあり、「自分は漫画は描くのに、なぜ小説のような物語は書けないのだろう?」ということが、いつも頭をよぎるのである。

ではなぜ漫画を描く(描ける)のだろう?

と考えてみると、自分はそれほど色んな漫画を読むことがない。

読むとしたら、コマの使い方、トーンの入れ方、吹き出しの形、などの技術的なことがほとんどである。

ただ、基本的に漫画というのは絵とセリフである。

なので、映画やアニメなどを多く観ていれば色々と参考になるのだろう。

その反面、文章だけで表現する媒体というのは、物語でいえば小説等に限られるように思われる。

現状では、例えば椅子の形を文章だけで表現するというのが、今の自分にとってはとても難しいことのように思える。

椅子だけならまだしも、文章で物語全体を表現する能力が今の自分には足りないと思う。なので小説を多く読んで表現を学んでみようと思う。

個人的に思うことだが、多くの場合、今の漫画でのプロセスは応用が効くものだと思っている。

どんな道具が必要か?どんな資料が必要か?どんなスケジュールが必要か?などは、置き換えることでできるものだと思えるのだ。

とりあえず今回は色々小説を借りてきて、どんな描写で、どんなテンポなのかを知ることができればいいと思っている。

クイーンズ・ギャンビット

  ネットフリックスで「クイーンズ・ギャンビット」というオリジナルドラマを観た。

以前から気になっていた作品なのだが、どうやらネットフリックス以外では観れないらしいので登録した。

 最近は色々と考えるところがあり、クオリティの高い作品をもっと沢山自分の頭の中に詰め込もうと思っている。

 この作品について色々感想を書こうと思ったのだけど、自分自身が方向性を整えて書くことができない。逆にそれが今の自分なんだろうけど。

とても良い作品だと思う。