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創作

テキストエディタ

 今日は何となくテキストエディタの話である。

 世の中にはさまざまなテキストエディタがあり、どれを使ったらいいのやら迷ってしまう。漫画の執筆用に使用しているテキストエディタは小説作成ソフトの「Nola」である。これはプロットを自由に動かせるところが気に入っているがiPad、iPhone版のNolaは微妙に使いずらい。なのでほとんどデスクトップ版をメインで使っている。漫画はこれでいいかな。

 今書いているブログの文章はpomeraで書いているけど、ブログに関してはプロットもアウトラインも作ってないのでエディタは別にこだわっていない。ワードプレスに直接書くことがほとんどだよね。ただpomeraはアウトプットしかできないところが気に入っている。ネットの誘惑もないし。そのうち新しいpomera買おうかなぁ。

 長編小説とか書いている人はどうなんだろう?pomeraじゃ手狭になりそうな気がするし、構成もしっかり固めてくるんだろうし。やったことないからイメージが沸かないなぁ。

 少しずつ作ってみようかな。何作ろうかね?

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マンガ 創作 未分類

 今日はこのブログの文章をpomeraで書いている。だいぶ昔に買ったものなのだが使う機会が全然なかったので新品に近い。ただなんとなく文章入力に特化したデバイス、日本語入力に特化しているデバイスを考えてみるとpomeraも案外悪くない。今使っているpomeraの欠点を上げるとすれば、電子ペーパー式なので入力のレスポンスがあまりよくないのと、バックライトが付いていないところか。今売られているpomeraならそんなこともないのだが。

 本題に入ろう。今日は漫画制作についての話である。

 今となっては漫画の制作も普通にこなせている。今回は車の登場シーンが多いので、しげの秀一先生の「頭文字D」を参考にしながら描いている。これが例えば食べ物であれば「美味しんぼ」や「クッキングパパ」を参考にすることもある。今回は車のどういった部分を参考にしているのかというと、車の疾走感のような部分をしげの先生はどのように描かれているのかという部分かな。ちなみに車自体の絵はプラモデルを色んな角度からカメラで撮り、ペンでトレースして描いている。

 自分の漫画はあらゆる要素の組み合わせで出来ている。もしかしたら皆さんもそういった部分があるかもしれませんね。KANさんであればビリージョエルの影響を受けていますし、中田ヤスタカさんの影響を受けた作品だってあります。

 こう言ったことわざ知らない?

 「ビートルズを聴いた人間は、自分が作った作品もビートルズっぽくなってしまう(by桑田佳祐)」
 
 まぁ、桑田さんがラジオで言ってたことなんだけどね。

 ただねぇ、僕は最近ちょっと思うところがあって、今上げた要素だけでは漫画は作れないと思っている。作り続けれないというべきかな。

 それに加えもう少し、自分自身が創作するための「核」が必要だと思うんですね。

 たぶん、調べた訳じゃないから正しいかどうか分からないけど、おおよその人の場合、創作の核というのは、もしかしたら「自我の投影」なのかなって思うんだけど。どう思う?

 ところがね、僕の場合、漫画を描き始めた初期の頃から、これと言った自我なんてものがなかった。というか元々自分の自我なんて、とうの昔に崩壊してた。なので最初の頃は何を描けばいいのか分からないことが多く困り果てていました。

 そうだねぇ、、、やっぱ最初の頃は自分の描きたいことと言うのがなく、KANさんネタばかり描く傾向にあったと思います。毎週いつも聴いていたKANさんのラジオ「ロックボンソワ」。あれだね、あっぱKANさんという人は色々エピソードが多いよね。それを漫画にしていた。ネタに困った時はKANさんのエピソードに頼っていました。

 ただ、皆さんも知っての通りKANさんが亡くなってしまいました。僕ももう漫画描けないと思っていた。けどごらんの通り描き続けることが出来ている。そして良かれ悪かれネタを思いついてしまう。

 アウトプットし続けていれば、アウトプット慣れするとも言われますが、僕としては自我のかけらのない自分に、KANさんが何かしらを残してくれたのだと思っています。

 ここで詳しい説明をするつもりはないんだけど、人の自我というのは非常にもろく壊れやすい。そんな時、自分の中に自分ではない誰かがいれば、もしかしたらそれは自我を越えた、もっと強い自分の核になるかもしれませんね。

 それではここで一曲、どうぞ~!

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普通のこと

イメージの割合と次の宿題

 さて、「ちゃくら」が新曲を出しました。ドラマのタイアップ曲である。

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 まぁ、そうだなぁ、、、特に感想はありません(ないんかい!!)。

 で、ちょっとワキタに聞きたいんだけど、メジャーデビュー後の「ちゃくら」。インディーズと比べて、曲のイメージをどのような割合で考えていますか?

 おそらくだけど、多少はインディーズと違った感じの作品を意識してる部分もあるとは思いますが、インディーズ時代から「ちゃくら」を聴いている身からすると、今の「ちゃくら」のカラー(色のことではない)がいまいちハッキリしない気がします。インディーズの「ちゃくら」が結構分かりやすかった部分もありますが。

 メジャーですから、そらメジャーな曲を意識されてはいるとは思うのですが、そのバランスが今の段階では多少不安定な感じがするのですが、制作の段階でどのような「イメージの割合」を意識されていますか?

 ん?意味が分からんだと?

 そだなぁ、、、要するにインディーズの頃と比べて極端なふり方をしているように見えてしまって、どこか地に足がついていないような感じがするんですよね。まぁ、今の段階ではそれはそれでいいのかもしれない、、、かも。

 さて、それはそれとして、次の課題を与えるとしよう。

 以前、King Gnuの常田さんの記事で読んだ気がするんだけど、常田さんの場合制作する時って半径数キロ(何キロかは忘れたが)の出来事についてのことを書いているんだとか。

 多分、ワキタも半径数キロ以内の出来事について書かれることが多いと思う。

 ただ今回の課題は「半径数百キロ以上」の出来事について書いて欲しい。

 今は「情報化社会」。遠い国の出来事が手に取るように分かる時代。だがそれはあくまで「情報」であって見えているわけではない。今回ワキタに与えるミッションは「遠くにいる人のこと、遠くで起こっている出来事を、感覚的に見る訓練」。「感受性の訓練」ですね。

 実際には現地に行って、リアルなものを見る方が、分かりやすいのかもしれない。ただ今回はそれをしないで感受性のみで遠くのものを見て欲しいんですね。そして実際見ていない状況を描写して欲しい。

 例えば、遠くにいる人のことを感受性のみで受信し思う行為というのは、最初のうちは、ものすごく疲れます。具合が悪くなることもあります。ただそれも慣れてくれば近くにいる人のことよりもハッキリ見える時が多々あります。

 確か以前ワキタが言ってたことを思い出したんだけど、「ちゃくらの周りの人達のアドバイスを一つ一つ試した」とか。近くにいる人のアドバイスはとても重要、なぜなら「ちゃくら」のことを近くで見守ってくれている人達だから。ただそれゆえに、その判断に信憑性を欠く時もある。それって人間の性(サガ)でしょう。前回のブログで僕が「メリクレットについてあまり書かない」のも似たような理由で、僕の場合、どうも近くに住んでいる人だと創作意外のことも心配になってしまうんだよねぇ。なのであまり余計なことは書かないようにしちょる。

 そして今回の例えはコレね!

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 それでも分からない場合はユーミンにお便り書けば教えてくれるかもよ!

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マンガ

取材の予定

 前回から少し時間が空いてしまったが、ここ最近はひたすら漫画の制作をしている。なにせ30ページもあるのだから黙々と作り続けていないと終わらないのである。

 今日はサクラというキャラが何者かにシバかれるシーンを描いていました。

 まぁ、この「大木常五郎編」は、必ず誰かがシバかれるようになっているので勘弁しておくれ。

 そう言えば、メリクレットが新曲を出した。

 メリクレットに関しては、あまりブログで書くことはないのだがチェックはしているよ。

 今回は、まずはじめにレニア君の歌詞がとても良いと思いました。配信されてから曲を垂れ流して聴いているのだが、良い曲だと思いましたよ。

 そうそう!「取材の話」をしようと思う。来年描く漫画のための取材である。構想は大体できているのだが、もう少し岸辺露伴のようにリアリティが欲しい。

 今回の取材対象は「羊」である。

 北海道と言えば「ジンギスカン」。ただ皆さんが北海道に来て食べているジンギスカン、もちろん我々も食べている羊肉はほとんどオーストラリアかニュージーランドからの輸入品なんです(昔から)。国産の羊肉なんて食べた記憶がない。

 北海道に旅行に来て、牛や馬は見たことがあるかもしれませんが羊ってあまり見たことがないと思います。

 今回行く予定なのは「石狩ひつじ牧場」。予約制なのでいつ行こうか考え中なのですが、一度取材しないとリアルな羊の絵が描けない。YouTubeで見てみると羊の鳴き声は「メェー」らしい。ヤギはなんて鳴くのだろう?ヤギと羊の違いがいまいち分からないのですが、一応それも調べておくとしよう。できればその羊たちを眺めながら羊肉を食べたい。

 来年描く漫画の構想について。

 羊が登場します。大体の羊は「メェー」と鳴くのですが、一頭だけ「ダッチャ!」と鳴きます。名前は「ラムちゃん」。オイオイ!それではまるで「うる星やつら」じゃねぇか!みたいな感じなのですが。。。その羊の「ラムちゃん」と人間の「チペ子」との話。それに加え多数の変態たちの話をミックスさせながら話を進めていきます。

 いつも僕の漫画には何かしらの曲の歌詞やタイトルが入っているのですが、今回のメインはコレ。一部だけ書きますので皆さん想像してみてくださいね。

「アタシのLOVEは涙色」

「セクシービーム」

「ずるい女」

「釣り好きの人に悪い人はいない」

「ピース!」

「努力 未来 a beautiful star」

 とりあえず羊の取材ですねぇ。

 ではでは。

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普通のこと

リアルな体験

 そういえば今日は山梨県で震度6弱の地震があったらしい。昨日、北海道でも地震があったが全く気が付かなかった。

 山梨県の地震は結構広範囲だったのかな?風の噂ではワキタのところでも地震があったそうだ。ただ誰からも連絡が来なかったそうだ。

 それが電話なのかメールなのかLINEなのか分からないが、一応震災をあまり知らないワキタのために言っておくと「よほど緊急でなければ回線は開けておけ」。つまりね、みんながみんな一斉に回線を使い出すと電話がつながりにくくなってしまうってこと。だから別にワキタに連絡が来ないのは正しい判断だと思います。

 前回のアートワークの件もからんでしまうのですが、震災などを体験した人、被害に合った人、家族や友人を亡くした人のリアルな記憶は決してなくなることはない。ただ月日が経ちそれらを体験したことがない人も沢山いる。

 そだねぇ、、、人によってはそれを伝え覚えておかなければいけないと思う人もいれば、そんな辛いことは忘れてしまいたいと思う人もいる。僕なんかはどちらかと言うと後者の方で、思い出すと具合悪くなるかも。もしかしたらそのどちらの気持ちも汲んで「鯉のぼり」という形にしたのかな。

 これは2018年9月の写真なんだけどね、木の写真しかなくて申し訳ないんだけど北海道胆振東部地震の時の撮った写真ね。間近で見た時には何だか悔しくて悔しくてたまらなかったわ。電気も全部止まり、食料もあまりなくて最悪の日々だった。もっとも震源地近くの人たちの方がもっと大変。

その後、厚真町にユーミンが来てくれたのを覚えています。

 

 こういった災害があった時、皆さんには何ができますか?

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ちゃくら 創作 音楽

ピカソ

 パブロ・ピカソは生涯でおよそ15万点の作品を生み出したそうです。それはそれはすごい数でギネス世界記録にも認定されているそうです。

 ところで皆さんは、そんなピカソの作品をどれだけ知っていますか?おそらくほんの2、3点くらいしか知らないのでしょう。

 15万点もの作品、全てが良い作品であるとは限らない。中には大衆の目にも止まらない作品や、その作品の意図が伝わらないものもあったと思います。それでもピカソは15万点もの作品を作ってきた。

 今日はこんな記事を見ました。」

 実際にはもっと長い文章なのですが。

 あくまで僕の個人的意見なので、どう受け止められるかは別にどうでもいいのですが、「一つの作品がボツになったくらいで、まるで「世界の終わり」のような文章を書ける常田さん」だと思いました。この文章をアートワークにしたいくらいだ。

 今日はこの常田さんの文章やアートワークを描いた方の文章を読んで1日中考えていたのです。忙しい中( ̄∀ ̄)

 僕は「行動の先にしか解決策はない」と思います。キツい言い方をすれば「悩んでる暇があったら次を描け!」ということです。とくに「一枚絵」は一枚の絵だけで表現しなければならない訳ですから、音楽や漫画とは見せ方が違う。それを見た人の感覚に委ねられる部分も大きいような気がします。

 では絵の情報量が多ければ説明がつきやすいのか?そういう訳でもない。絵の情報量が多ければ上手いとは思われるらしいが、説明はつかないと思う。

 「表現」というのは、とても難しいものだと思います。一つや二つ作ったところでそれが良い作品なのだろうか?ちなみに漫画家の鳥山明先生はデビュー前500点もの原稿全てがボツになったそうです。

 「数打ちゃ当たる」ということではありませんが、先ほども書きましたが悩んでいる時間を作品作りの時間にした方が建設的だと思います。

 

 じゃぁ、この子達を例に上げてみましょう。

 ラジオによると「ちゃくら」は年間100本以上のライブをこなしてきたそうです。それはそれはすごい数。ただその100本以上のライブの中で「最高のライブ」はいくつあったでしょうか?僕が思うにそのほとんどが反省会。出来の良いライブは少なかったと思います。

 ただ今こうしてメジャーにもなれているし、ドラマのタイアップも決定したそうです。

 ピカソと大して変わらん。と思うよ。

 

 というわけですから、MILLENNIUM PARADEもこれにめげずに頑張りましょう!!

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音楽

アートワーク

 今日は面白い記事を見つけた。

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  たぶんアレだと思う。「鯉のぼりが燃えている絵」じゃないかな?鯉のぼりを燃やすのはヤバいと思う。そりゃさまざまな意見も出るだろうね。

 そだねぇ、、、新しいアートワークが楽しみなところなんだけど。

 僕だったらどう描くかなぁ。。。

 例えば、例えばだけど、漫画を描く時のプロットって僕の場合「5W1H」で考えてから、描くんだけど、まぁ、そう深く考えずザッとね。鯉のぼりが燃えている絵だと、ちょっと情報伝達的にはストレート過ぎるかな。インパクトは強いと思うけど、ユーザーがその意味を考えるまでにいたらない気がします。

 そうですねぇ、、、難しいよねぇ。逆に、仮に常田さん自身の中にある「厨二病」的なものを描くかな。。。つまり描く対象は大人で、その大人の中に今もまだ残っている青春や童心を描く(思い出ね)。

 まぁ実際描くのは難しいけど、「静かな炎で弔い」って言うのを最も描写したい部分だと思うんだけど、昔的な表現だったらタバコを描くかもしれない。問題はそこだよねぇ。だからあの鯉のぼりが燃えている絵というのは一応理にかなっている表現なのかもねぇ。

 逆にさぁ、静かな炎を「口紅」で描いて、紙タバコを吸う女性でもいいんと思う。ただその場合多少のエロスを入れて厨二病の心をくすぶるような表現だとどうだろう?でそのエロスの部分に青春や童心を入れるのはどうだろう?要するにアレだ「鯉のぼりが燃えている絵が描かれているパンツ」とか^ – ^

 まとめると「鯉のぼりが燃えている絵」の表現自体は悪くはない。ただ人物として大人を描きその中に青春や童心を静かな炎で弔う部分をアクセサリーとして入れてみると意味を想像しやすいいかな。

 そだなぁ、参考として黒夢のシングルスのアートワーク出すよ。

 

 今の時代アートワークにヌードを入れれるかは知らないけど。例えばこの女性に「鯉のぼりが燃えている絵」のタトゥを入れたり、髪に静かな炎をいれたり、鯉のぼりのパンツ履いたり、、、大人の中に青春や童心の弔いを描くかな、、、私は。

 まぁ、新しいアートワーク楽しみですわ!!

 じゃぁね。

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ちゃくら

「ちゃくら」メジャーデビュー日

 今日はあの「ちゃくら」のメジャーデビュー日だそうです。

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 おめでとうご財閥!

 「ちゃくら」に「財閥」とか言っても何のこっちゃ分からん話なのですが。とりあえずデビューしたそうです。

 そうですねぇ、、、この先「ちゃくら」がどんな音楽、どんな活動をしていくのか。

 僕個人としては「ちゃくら」には「誰かに寄り添える音楽」「誰かに寄り添えるライブ」を目指してもらいたいものです。

 現実社会というのは厳しいもので、本当に辛い時、悲しい時にずっとそばに寄り添ってくれる人なんてそうそういないものだと思います。そんな時に自分の隣でずっと寄り添ってくれる音楽なんてものがあると、多少は気持ちが楽になることでしょう。

 僕にもそんな時期がありました。そんな時よく聴いていた音楽はコレ。

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 結局、辛い時期を乗り越えるのも、そのまま堕ちていくのもその人次第。ただ、どちらにせよ自分の身近に音楽が寄り添っていてくれれば気の持ち方も違うものでしょう。

 

 メンバーについて言えば、メジャーということで、もちろんバンドとしての人気も大事ですし、当然お金も今までより沢山稼がなくてはならない。来年あたりにはもう少し大きな会場でライブができるかもしれない。バンドとしての夢は大きいものだと思います。

 少しかたい話にはなってしまいますが、皆さんがバンドとして活動しつつも、それぞれが音楽家としてのキャリアを積み重ね、将来的には個々でも十分やっていけることを僕は望みます。例えば葉弥がクラシックのコンサートをやってもいいですし、まおが他のバンドのサポートをやってもいいわけです。まぁ音楽だけに限らず、音楽を糧にいろんな分野のことをやってみるのもいいと思います。まとまるときにまとまればいい訳ですから。

 今はまだそのようなことはできないと思います。なので今は頑張って「ちゃくら」としての活動をやってください。

 そして、まぁ当たり前のことなのですが、これまで応援してくれたファン。そしてこれから仲良くなっていくファンを大事にしてあげてください。

 そ〜んな感じかなぁ!じゃぁね!

 

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ちゃくら

口笛

 最近の変化点。どうやらワキタがお洒落になってきたようだ。

 風の噂では、ワキタは唇にピアスを装着したうだ。

 ただ、一つ言っておこう。

 「唇にピアスを装着しただけでは、お洒落とは言えない」

 重要なのは、相手の視線を自分の唇に注目させることだと思う。

 ではどうすれば良いのか?

 昨日、森田童子の曲を聴いてみた。ドラマ「高校教師」の曲だ。

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 この曲で使われている「口笛」が気になる。ワキタよ、ミュージシャンなら当然口笛くらいは吹けると思うのだが(できなきゃ練習しろ)、ここは一つ口笛を使った曲を作って、己の唇にオーディエンスの視線を釘付けにしてみてはどうだろうか?

 それで、唇のピアスも生きるというもの。

 さて、では口笛を使ってどのような曲を作るのか?やはり森田童子にならって「失意」の曲を作ってみて欲しい。

 ちなみに参考までにこの曲もあげておこう。

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 期限はありません。じっくり考えて作りましょう。ワキタは口笛練習しろ。

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ライブ 音楽

不思議ちゃん

 この話は、本当は昨日書こうと思っていたのだが、センシティブとリアルが交錯する話なので、とても書きにくい。 

「不思議ちゃん」。僕はいつの頃からか、心の中で、この人のことを不思議ちゃんと呼ぶことにしている。

 なぜ「不思議ちゃん」なのかというと、心の中を読まれているような感覚があるからだ。もちろん実際にはそんなことはない、偶然である。

 ただ不思議ちゃん自身が持つイメージというのは、どことなくリアルと重なって見える。

 人の持つ感受性というのは、想像による産物なのだろうか?それともリアルを映し出す鏡なのだろうか?

 それがもし通常の人よりも度を超えたものだとしたら、その負荷は大きいものだ。自分で自分を破滅しかねない。だが不思議ちゃんはとても耐性がある人のようで、僕も不思議ちゃんのおかげで「自分はまだマシな方である」と思えるようになった。

 だいぶ前に変態(仮称)に何度かそのことを書いたのだが、当時は自分の頭がおかしくなったんじゃないかと思っていた。そして変態(仮称)のことがとても普通の人に見えてしまって羨ましかった記憶がある。

 しばらくそれは「自分だけなんじゃないか?」と思い悩んでいた。当時の自分にとっては、そういった感覚は単なる重荷にしかならなかった。

 そんなことがしばらく続いていたのだが、不思議ちゃんを見てからその考えが少しずつ変わっていったのを覚えている。それに自分以外にそういった感覚を持っている人を見ると、それがとても客観的に見えるようになってくる。

 どうすればいいのかが分かってくる。

 そうだ。ライブに行けばいいのだ!不思議ちゃんが能登に行ったように、リアルを見ることが大事である。センシティブな世界では何も分からない、自分を追い込むだけである。少なくともリアルの方が理解することができる。動くことができる。

 感受性の世界ではさまざまのことが起こります。不思議ちゃんの場合それが現実でも起こってしまうのかもしれません。それはアーティストの強い武器である反面、とんでもなく精神的負担が大きいことだと思います。それに不思議ちゃんは「見えてしまう人」だと思う。

 さてそんな不思議ちゃんのチケットをゲットしました!

 ちなみにSS席は落選しましたが、S席は当選。不思議ちゃんの長い足を近くで見れなくて残念ですが、安く上がったので別にいいです。

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