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オマージュ

 最近、色んな記事やラジオを聴いていると、何やらミュージシャンの「オマージュ」、つまり他のミュージシャンの曲の要素を使用する行為について若干気にしてる様子が見られます。

 ただ、ぶっちゃけ世の中なんて何かしらのオマージュだと思いますが。

 でもやはり、特に「プロ」と呼ばれる人達はそこんとこ迷われる様子。

 たしか桑田さんがラジオで言っていたのかもしれないけど、「一度ビートルズを聴いたヤツは、自身が作る曲もビートルズみたいになってしまう」らしい。

 まぁ、どうなんでしょうねぇ、、、「オトナブルー」がOKなんだから大体OKなんじゃない?

 たぶんアレでしょ「アウト」が分かればやりやすい訳でしょ!逆算すればいいだけだし。

 しゃあねえなぁ、じゃぁ究極の「アウトじゃねぇか?」と思われる曲、実はすでにKANさんが作っております。もちろん「シャレ」で。

 以前も何かで紹介したと思うのですが、

 この2曲はコード進行?(よく分からんが)が同じです。

つまりこの2曲は全く同じ曲であると言えるでしょう。

 ただ実はこれは秦基博さんとKANさんが共作で同じコード進行?の曲をあえて作ったのです。シャレでね。そうでなければアウトですよね。

 この2曲が合わさると、こうなる。

 

くわしくはこちらで、

そしてこうなるということです。

 

 で、それでもやはりプロと呼ばれる方は気にされると思います(当然ですが)

 それはきっとオマージュされた人がご顕在だからということと、その曲を知っている人がお健在ということですね(知らなきゃ言わんだろ)。

 でもKANさんの曲って、結構ビリー・ジョエルっすよね(まぁ、ファンなんだし、そうなるでしょ!)。別にねぇ、それでも何も言われんし。いいんじゃない。

 そんなこと言ったら、和田唱さんなんて声質自体(喋り声の方。ゆっくり喋ると)がKANさんのオマージュになってしまうでしょうに!今度ロックボンソワに出てほしいわ。

 

 ただ逆にオマージュって、その時代を知ってる人からしたら、とても懐かしい感じがして聴きやすい部分も多いです。なので全然OK!だと今回のGLAYのアルバムを聴いて思いました。

 ライブも楽しみです。

追伸

それでは皆さん、KANさんと秦基博さんのやり方を理解した上で、そのやり方をオマージュしてみてくださいね。期限は来年中(結局3曲出すことになるのだが)。

もし出来たら、その曲の入ったCDを買おうと思います。

ヨロシク!

バックグラウンド

 これからお話しすることは、本来ならバックグラウンドで書くような内容なのですが、なんとなくこちらで書こうと思いました。

 最近、とあるミュージシャンの「洗脳騒動」みたいのがありますが、個人的には別にどうでもいいような話です。

そもそもあれを本当に洗脳と呼んでいいのかどうかも微妙。

 

 ただ当時そのミュージシャンのライブに何度も足を運んできて思うことがあるとすれば、唯一の救いは「ライブは面白かったけど、音はそれほどでもなかった」ということです。

 もちろんバックグラウンドでも何度かお便りで書いたと思いますが、ミュージシャンのプレイがいくら良くても、それをお客さんに伝えるのは裏方の仕事。

当時は、その裏方の仕事が全般的に良いとは思っていませんでした(特にホールでは)。

 それはやはり、いろんなミュージシャンのライブに行ってみて、比較してみた感想です。

当時はライブ自体は面白いんだけど、音がぼやけていた。

会場に入るとスタッフさんの雰囲気がピリピリしすぎて、いずらかった。

ライブ中にスタッフさん同士の話し声がやたらと聞こえてライブに没入できなかった。

 特に音の通りについては、当時は今ほどライブの音のクオリティが高くなかったにせよ、できるだけ音を追求して良くしようとするミュージシャンもいました。

そういったミュージシャンのライブの音を聴いていたこともあったせいか、どうもあの当時のあなたライブには裏方の強さをあまり感じられなかったように思います。

 

 であれば、「そのライブに行かなければいいじゃん!別のミュージシャンのライブに行けばいいじゃん!」って思うかもしれませんが、ステージに立っているミュージシャンが悪いわけではない。

 ただ何となくモヤモヤしていました。

 ここからは、多少自分の思い過ごしもあるかもしれませんが、ちょっとばかりお付き合いください。

 そういった気持ちもありながらもライブには行っていました。

ある時のライブ。僕は最前列の席に当たりました。

本来であれば、すごくワクワクするところだと思いますが、僕は全然良いと思っていなかったのです。

何と言うか、こう言ったら失礼かもしれませんが、最前列にいながら、なぜみんなが盛り上がっているのか理解できませんでした。

もちろん初めて来られるお客さんや、信者の方でしたら、そうなるかもしれませんが、僕は「この盛り上がりと、ライブのサウンドが一致しない」ように思えました。

僕はライブに何度も行っていましたから、そのミュージシャンの方が近くに来られても驚きもせず、モヤモヤした気持ちもあったので、ただただ恥ずかしい気持ちでした。

「今回のライブが最後だ」と思っていました。

 ただ最前列だったから、、、やはりミュージシャンが目の前にいるというのは、何だかあれは不思議なもので、自分のモヤモヤした気持ちをまるで見透かしているようなミュージシャンがいました。

ギタリストの弥吉 淳二さんです。もちろん僕の思い過ごしでしかないことなのですが、すごく僕はやよっしーに心の中を見透かされてしまっているような感覚だったんです。

 もう亡くなられてしまった。結局僕がとった行動は「思ったことは、そのミュージシャンに伝える」ということでした。僕がよくあなたにお便りを書いていた時、あの時のやよっしーの像も思い浮かべることがありました。

そして「これでよかったんですか?」とか考えることもあったんですよ。

 今日の文章は。読み手にとってよく分からない文章だと思います。

 端的に言いますと、例のあの人とは二人三脚で頑張ってきたと記事には書いていましたが、「音へのこだわり、ライブへのこだわりは、それほど強くなかった人。」ということだと思います。

そして「自分が思ったこともロクに言えないというのは、すごくモヤモヤすることだ。」ということです。

僕にとって「洗脳」とかは別にどうでもいい話です、僕は「コロナにかかって、声が出ない人のライブに行くほど信者ではない」ので。

 

 

 

作家とキャラ

今日は、PerfumeのライブBlu-rayが届きました。

以前U-NEXTで何度か観ていたので「どうしようかなぁ」と思っていたのですが、色々と確認したかったので購入しました。

完璧なクリエイティブですねぇ。人によっては意見が違うかもしれませんが、僕は元々Perfumeのクリエイティブに影響を受けまくっていた時期があったので、やはり完璧なクリエイティブだと思います。

それと同時に、最近はちょっと別の見方もしていました。

どうも僕は何気に漫画を描いているせいか、Perfumeを漫画で描く場合、どのような感じになるのか?なんて考えてしまうのですが、これがなかなか難しい。

漫画はやはりキャラの特性を重視して描くと思うのですが、Perfumeの場合、個々のキャラでストーリーを作ることが上手くできない(気を使ってしまう部分もあるんですよねぇ、やっぱ3人だし)。

ところが世の中には、すごい作家さんがいるもので、「のっち」さんを元に新たなキャラを創作してしまう凄腕がいる。

椎名林檎さんである。

正直「やりやがった!」と思いました。

曲も良いし、のっちさんの歌唱も良い。もっと細部まで聴きたくてCDを買ったくらいである。

そして何より、のっちさんのキャラを創作できてしまう椎名林檎さんは、とてもすごい作家さんだと思いました。

新たな好奇心とインスピレーションを受けました。