お題「導くとは何か?」

 さっきブレイキングダウンの「溝口勇児」氏の記事を読んだ。溝口氏のXの文章は、とてもキレイで読みやすい。知的な方だという印象があります。

 そんな溝口氏、どうやらブレイキングダウンで逮捕者が続出していることに頭を悩ませているようだ。

 個人的には、そうなってしまうのはブレイキングダウンが悪いというよりは、その人の問題だと思います。ただ実際ブレイキングダウン出場者での逮捕者が出ているのも事実。なかなか難しい問題です。

 おそらくブレイキングダウンのコンセプトが、溝口氏の思ったとおりに働いていないのかもしれません。それをどうすればよいか?それは僕にもわからないです。

 ただここ最近「人を導くとは何か?」について考えています。人は何か(誰か)に導かれ、やがて誰かを導くようになるのが理想だと僕は思います。でもそれは簡単にできることではないとも思っています。

 僕の考えでは、「導く」とは「困難を困難だと思わなくなるような魔法をかける」ことだと思います。

 こめおさんや、後藤さん、ブレイキングダウンで有名になったとしても、その後はやはり困難な道を自ら歩いているのではないでしょうか?つまりブレイキングダウンが良い悪いという問題ではないと思うのです。

漫画の進み具合

 今回の漫画は4月半ばくらいにアップする予定です。

 あとはほとんど背景なのですが、今回の背景はちょっと時間がかかりそうです。いつも文章から書いてそれを絵にするものですから、ネームを描いているうちに「これ描けるのだろうか?」と思ってしまう。頭にあるものと実際に描くのとでは違うものですね。そうやって新しい絵を描くのにチャレンジできるメリットはあるのですが、今回は背景描写が少し多い。資料を見ながら、パース線を引きながら「あーでもないこーでもない」しております。

 最近キャラの絵を描くときに、よく「左右反転」機能を使うようになりました。イラストレーターさんがよく使う機能なのですが、手を描く時に左右それぞれの向きで描くよりも、左右反転機能を使った方が描きやすい時もある。あと左右反転機能を使えば自分の絵の左右の偏りグセにも気づくことができるので重宝しています。

 それでは〜!

 

King Gnu 札幌ドームファイナルの感想

 今日は「京王プラザホテル札幌 プレミアフロア シングル」という部屋に泊まっています。

 今年は正月早々から、ホテルに泊まる機会が多いのだけど、特にお金持ちというわけでなく、コロナ禍にずっとJTBで「旅行積立」というものをやっていて、その積立金を使用している。まぁ積立をしてたのはいいのだが、特にどこにも行く予定もなかったし、第一コロナ禍だったしね。

 でも今回、京王プラザホテルを予約しておいて良かったですわ。今日札幌ドームに行った人は分かると思うけど、今の札幌ドームはアクセスに難がありますよね。公共交通機関は地下鉄のみだった。以前はシャトルバスが運行していて、人の流れもバラけていたのですが、現在の札幌ドームは色々あったせいかアクセスがなかなかヘビーでした。帰りは札幌駅まで3時間かかりました(歩いてもよかったかもしれん)。なので札幌駅の近くのホテルを予約しておいて良かったです。すぐ風呂に入って眠れる。明日の朝食ブッフェも楽しみだ。

 まぁ、あれは札幌ドーム側の問題なので別にいいのですが、King Gnuのライブは最高でした。そうですねぇ、やっぱオーディエンスの推しは凄まじいと思いました。久しぶりにあんな推しっぷりを観た。グッズもほぼほぼ完売したのではないでしょうか?

 King Gnuのファンというのは面白いもので、髪型とかを厳つく決め、革ジャンとかを着てるわりにキャピキャピな感じの人たちが多い(まぁ、ドームの人数からすると一部ですが)。あと比較的シャイなのか見た目武装してないように見えて、中にしっかり武装してきている人たちもいる(冬ってのもあるが)。ただライブが始まると同時にそれが一気に弾ける。なので一曲目からの、初っ端からのあのオーディエンスの勢いには正直びっくりした。

 以前、常田さんが「みんなが盛り上がってくれない」というようなことを言っていた気がしますが、、、てか、めちゃくちゃ盛り上がってるじゃねぇか!隣にいた女の子なんか、チョイチョイ曲に憑依(ひょうい)されてたわ!

 今日はとても気持ちいいライブでした。また来ておくれ!

 唯一心残りなのは、札幌ドーム側の問題で帰りが遅くなり、京王プラザホテルのクラブラウンジで酒と軽食を取れなかったのが残念だ。なので今日はコンビニ飯である。明日の朝食ブッフェに期待しよう。

DC3マスターコンテンツ

 今、クリスタ(クリップスタジオ)の機能にある「DCマスターコンテンツ」というものに登録して色々試している。

 この「DCマスターコンテンツとは何ぞや?」、何となく調べて分かってきたのだが、どうやら最近流行りの「ブロックチェーン」というヤツらしい。

 要するに、ちょっと理解するのは難しいと思うのだが、デジタルコンテンツを「モノ」として扱えるということです(まぁ、難しいよね)。

 デジタルコンテンツをモノとして扱えるのであれば、それの売買や譲渡、限定販売などができるということです(まだ、わからないよね)。

 つまり、そのデジタルコンテンツ自体が所有物となり、電子書籍やイラスト、音楽、映像などのデジタルコンテンツの配信元が、たとえ無くなっても、そのデジタルコンテンツを失うことがないということですね。

 まぁ、何というか、デジタルコンテンツに興味が無い人にとっては別にどうでもいい話なのですが、今の時代はやはり、「手に取れるモノ」と「デジタルコンテンツ」が入り混じった世界。

 音楽や映像などもサブスク中心となり、TSUTAYAは減少。もちろんアマゾンなどで、手に取れるモノを入手することはできますが、デジタルコンテンツの方が圧倒的に早い。

 ただ、そのデジタルコンテンツは本当に自分の所有物なのか?価値はあるのか?(売れるのか?)という部分だと思う。

 最初に戻るが、そのデジタルコンテンツを所有物とし、価値を付けたのがブロックチェーンだと考えているのだが。。。

 なかなか、わかりにくいよね。

 一般的には別にどうでもいいと思うけど(だからよくわからんのじゃ)、クリエイター目線から見たら、デジタルコンテンツを自分で売買できる機会が増えるのでいいのかもしれないけどねぇ。

 ただ、一般層(買う人)からしてみれば、今のところ、あってもなくてもいいような技術だと思う。難しいことは、もう少しバックグラウンドで働いてくれればいいのかもしれない。

漫画の表紙②

 漫画の表紙はこれで行こうと思います。

 背景のデザインがなかなか思いつかず何パターンか試してみて、結局こんな感じに落ち着きました。

 一応これで表紙は完成とします。

 「漫画の出来上がりと同時に出せばいいのでは?」とも思ったのですが、漫画自体の制作はもうしばらくかかるので、とりあえず表紙を先に上げときました。実際の漫画の表紙はもう少し解像度が低くなると思います。なので解像度が高いイラスト等は絵としても楽しめるように、漫画とは別にSNS等で上げていこうと思っています。

復活の呪文

ゆうて いみや おうきむ

こうほ りいゆ うじとり

やまあ きらぺ ぺぺぺぺ

ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ

ぺぺぺ ぺぺぺ ぺぺぺぺ ぺぺ

ここ最近のニュース。

皆さんもご存知のとおり、先日漫画家の鳥山明先生がお亡くなりになったそうです。

 世界中の悲しみとは裏腹に、僕としては、ただただ「驚いた」「びっくりした」といった気持ちです。

 「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」、リアルタイムで読んでいたし、アニメも観ていました。それとは逆に鳥山先生ご本人については何にも知らず、、、実際、鳥山先生自身もプライベートについては、ほとんど明かしていなかったようです。なので世界中が言うほど自分はそれほど「悲しい」という気持ちではない(そうなれない)。

 先生の作品については、僕は絶賛影響を受けまくっており、キャラの表情の描き方、絵の見やすさなどは結構参考にしています。

 漫画というのは基本白黒二階調しか使えません(カラー漫画は別)。絵はキャンバスに描く情報量が多いほど良い絵のように思われるところがあるようなのですが、白黒二階調しか使えない漫画で情報量を多くすると逆に見づらいような印象があると思うのです。

 鳥山先生の絵は、そこんところが、とても見やすいのです。一見シンプルなように見えて実はそうではない。

 それに鳥山作品はスクリーントーンをそれほど多く使用していないようにも思えました。もちろんアナログ時代ですとスクリーントーンの貼り付けは大変な作業という背景もありますが、それにしても、ほぼほぼペンだけでよくここまで見やすい絵が描けるものだと思う。

 世界中が悲しんでいる中、申し訳ないのですが、鳥山明先生の作品はこの先も、ずーと残って生きます。僕は今後も鳥山作品の影響を受け続けます!

 よろしく!!

伏線と伏線回収

 今日も何気に漫画を描いていました。

 漫画というのは面白いもので、まずそこに「伏線」が作られ、そしてその「伏線回収」が行われる。

 漫画に限らずですけどね。

 ただ、この「伏線」と「伏線回収」という行為、漫画の世界のことだけとは限らない。

 つい最近、このブログでも紹介した漫画の表紙のイラスト。Xでも上げているのだが、思っていたより見る人がいるのかな?個人的には最低5人くらいに見てもらえれば頑張れるタイプなのですが。

 あの表紙のイラスト。特にこれまで、ああいったイラストの練習なんて、ほとんどやってこなかったのですが、自分でも意外と上手く描けたような気がする。

 あんな感じで描けたのは、おそらく漫画を描いていたからなのでしょう。つまり漫画が表紙のイラストを描くための「伏線」となり、イラストを描くことが「伏線回収」となっていたような気がします。

 もしかしたら、過去にやってきた何かが自分の伏線となり、別の形で伏線回収されていることもあるのかもしれませんね。

 

漫画の表紙

 漫画の表紙が一応できました。

 後々、微調整などもありますが、とりあえずこんな感じで行こうと思います。

 なかなか一枚絵を描くことがなかったのですが、漫画の表紙として描いてみると、なんとなく描けるものだ。たぶん漫画の表紙ではない一枚絵を描くとしたら風景画を描いているのかもしれません。

 ちなみにこの表紙にはモデルが存在します。なので次の漫画の表紙はどうなるのか、察しがついてしまうかもしれませんね。

 表紙の説明をします。

 おおよその輪郭は「目トレース」によるものが多いです。なので漫画のように構図や角度を考えない分負担は少なかったです。全体的な色は「配色アイデア帳」に載っている色番号と、写真から色をスポイトで抽出しました。レイヤー構成は教本を参考にしました。

 当初、漫画のようにペン入れをしてから色を塗っていたのですが、髪の毛などに主線があると輪郭が目立ってしまう。なのでそこはペン入れの線を消して髪の毛を足しました。唇も同様に主線を消してから塗り直しました。

 服の色と背景の色は、肌の色に合わせて「配色アイデア帳」からいい感じのバランスになるような色番号を選び、少し調整しました。

 で、今アップしているものは、実際のスケールのものではなく、原稿のスケールに基本枠(内側の線)、断ち切り線(外側の四隅の線)などが入っています。基本枠は今回は漫画のような枠線がないので使用しない。なので実際には裁ち切り線までの範囲となります。

 多分このような感じになるでしょう。

 まだまだ本文が出来上がっていないので、リリースまで少々(だいぶ)お待ちください。

 よろしく!!

 

 

偶然性

 何となく今日もノーザンホースパークに行ってきた。

 馬というのは不思議なもので、こんな寒い時期に外ではしゃいでも風邪をひかないようだ。

調べてみると馬は、寒さに強いが暑さに弱いらしい。

 今日は馬を見に来たというよりは、この施設の歴史、サラブレット育成牧場の歴史について知りたかったので、「ホースギャラリー」の方にお邪魔した。

 僕は競馬は全然やらないので、競走馬と言われても、いまいちピンとこなかった。

 だが、そういった競走馬を育成するには必ず人の手が必要というもの。

 ホースギャラリーには、競走馬生産牧場集団『社台(しゃだい)グループ』の創業者「吉田善哉(よしだぜんや)」の志が、社台グループ、競走馬の歴史とともにつづられていた。

 吉田善哉は、数々の名言を残している人のようで、その中で僕が気に入った言葉がある。

「生産者は、「預言者」でなければならない」という言葉である。

 この「預言者」という言葉に、僕は「音楽」を感じたんですね。

 音楽(ここでは歌詞付きの音楽のことをいう)というのは不思議なもので、ときどきミュージシャンの作った「その曲の意味」とは、違う方向性に向かっていくことがあると思うのです。その違う方向性に向かうということに「預言者」めいたところを感じるんです。

 だいぶ前、桑田佳祐さんがラジオで言ってたことなんだけど、宮城県のライブで、自分の作った曲とは違った意味での共感をお客さんがしだした時には、メンバー全員が「ヤバい!」と思ったらしいです。つまり震災の時のことを歌った曲ではないのに、会場中が震災を思い出してしまって、共鳴しだしたようなんです。その場の空気が全く変わってしまったのでしょう。

 おそらく、予言というのは、完全一致というものではなく、偶然性のようなことだと思うんですね。

 偶然性というのは、どんなにその数が多くても決して必然にはならず、ずっと偶然のままだから対処のしようがないもの。あまりにもそういった偶然性が多いと壊れてしまいそうですが、逆にそういう偶然性を引き寄せる力があるから長く音楽をやっていけるのかもしれません。

 以前書いた「天才は自然が作り、秀才は人が作る」の「天才」とは、偶然性のことかもしれませんね。

 今度ノーザンホースパークに行ったら、何に出会えるか楽しみだ。

この日

 スマホで写真を撮っていると、ふとした時にスマホが自動的に「数年前のこの日」、つまり過去の同じ日に撮った写真を表示してくれることがある。

 今日スマホが提示した写真は「4年前のこの日」である。

 今はもうコロナ禍が収まったことになっている。それは良いこと。

 ただ、4年前のこの日の光景を思い出すと、あの時は、この後何が起こるのかなんて想像すらできなかった。「無知」というよりは、あまりにも事が大きすぎてアホになっていたのかもしれない。

 この頃はまだ、こっちでは感染は広まっていなかったのですが、それでもギュウギュウ詰めのzeppで雨具を着て、感染防止のような格好をしている様子は異常だと思った。そもそも室温も30度くらいにはなっていただろうに。

 いくら盛り上がるライブとはいえ、そんな格好をしてまで来るファンの姿を目の当たりにするのは、ミュージシャンとしても辛いと思う。なぜならあの光景は、やはり異常だったから。それもあったし、国からのご達しもあったので、そのあとのライブは中止。

 よく「一線を越えて」なんて言葉もあるのだが、おそらくあの時の光景が「一線」だったのかもしれないと思う。ただあの頃は、誰もその後のことなんて何もわかってなかったのだ。

 「これを教訓に」なんてのは、おそらく無理な話で、でも物事には「一線」というものが存在することを知った。