「普通のこと」カテゴリーアーカイブ

マッサン

 ここ最近はNHKオンデマンドで、朝ドラの「マッサン」を観ている。

 今はマッサンがようやく北海道の余市町に工場を作り、ウイスキーを作るための軍資金を作るべく、りんご汁を売り、りんごワインの研究をしている。

 ウイスキーを作るには最低5年の月日がかかるため、その間にりんごを使った商品でつなぐためである。

 マッサンはニッカウヰスキーの創業者「竹鶴政孝」と、その妻「リタ」をモデルにして描かれた物語である。

 マッサンは自分の作りたいウイスキーを作るために、はるばる北海道余市町にやってきた。それは北海道余市町がウイスキーの本場スコットランドに近い気候風土だったからに他ならない。そして時を経て、今もまだマッサンの作ったウイスキー工場は活気づいているのだ。

 マッサンのドラマを観ているうちに、やはり地元ということもあり、僕もマッサンの作ったウイスキー工場(正確には「蒸溜所」という)をこの目で観たくなった。

 ニッカウヰスキー余市蒸溜所では、無料のガイド見学ツアーというものがある。ネットから申し込めるのだが、人気があるのか予約がいっぱいで、11月のガイド見学ツアーに申し込んでみた。もしよかったら何度も行くかもしれない。

 とはいえ、僕は余市町には全く行ったことがなく、宇宙飛行士の毛利衛さんの故郷ということぐらいしか知らない。

 なので今日はとりあえず余市町の下見に行ってきた。

 余市町は札幌から車でおよそ1〜2時間くらいで行ける。

それほど大きい町ではないのだが、車の走る台数や町の賑わいは想像以上のものだった。

 北海道の場合、例えばニセコとかでもそうなのだが、場所によって自然の様相が全然違って見える場所もある。

 余市町もそのようで、一つの町に海、川、山、サーファーや、単車のヤンキーまでもいる。そこは自然は自然なのだが、いつも見る自然とはまた違った自然なのだ。夜はすごく静からしいので、そのうち泊まりで行こうと考えている。

 コロナ禍が明けたとはいえ、僕はそれほど行きたい場所も多くなく、「何だかなぁ」なんて思っていたが、ニッカウヰスキー余市蒸溜所のガイド見学ツアーは、自分の心を結構ワクワクさせるような気がする、マッサンを観ているうちにウイスキーについての見方も変わってきた。

 ちなみにウイスキーは、昔は海外では薬として使われていたらしい。お酒としてはカロリーがゼロで健康にも良いようだが。

 個人的にはハイボールが胃の負担を軽減できるからいいかな。

 

16personalities

 今日、会社の同僚に「16personalities」という性格診断サイトを教えてもらった。

 なにやらよく当たるのだとか、多くの質問に答え、その結果によって性格を判断すると言うものだ。

 このような多くの質問に答えながら性格診断するというのは、もしかしたら信憑性が高いものなのかもしれない。確か昔「R」という統計解析ツールの講習会に参加した時に、教えてくださった先生が、大学で心理学の教授をされている方だったので、統計と心理学との因果関係はあるのかもしれない。

 ただ、そのサイトが本当に正しい情報をもとに作られているものなのかは別だが。

一応ここに、そのサイトのURLを貼っておく、悪いサイトではなさそうだ。

https://www.16personalities.com/ja

 それで私の診断結果がどうだったのかが気になるだろう。

 これがそれだ!少々長いぞ!

提唱者
INFJ型の性格
「人のあるべき姿を見て接すると、その人の人間としての可能性が開花される」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
提唱者(INFJ型)は最もまれな性格タイプですが、社会に大きく影響を与える人たちでもあります。強い信念を持ち、理想主義者である提唱者は惰性で生きる人生には満足せず、自身が立ち上がり、ものごとを改善したいと感じます。お金や地位を得ることを成功とは考えていず、人助けをしたり、世の中にポジティブな変化をもたらしたり、達成感を得たりすることを成功と考えるタイプです。
非常に高い目標や野心を持つというのが提唱者の特徴ですが、のんびりした夢想家ではありません。提唱者は誠意を大事にし、自分が正しいと思うことをしないと気が済まない性分です。自分の価値観をはっきり認識している上に、大切なことを見失わないように常に意識している根っから実直な人たちです。他の人の考えや社会規範をそのまま受け入れるのではなく、自身の知識と直感を基に何が大事か判断して、それを見失わないよう努める人が提唱者です。
目的を見い出す
提唱者の性格タイプが非常に珍しいからかもしれませんが、本人が自覚していない場合も含めて、「自分は大抵の人とは違う」と感じている傾向があります。豊かな内面を持つ上、人生の目的を見つけたいという深く揺るぎない思いがあるので、提唱者は周りの人となじまないこともあります。周りの人に受け入れられたり、親密な関係を築いたりするのは不可能という意味ではありません。ただ、「人に理解されない」「社会全般と相いれない」と時々感じるのです。
周りになじめないという感覚があっても、幸い社会をよくするという強い決意を提唱者が失うことはありません。不正義に心悩まされる人たちなので、通常、個人的利益より利他的行動を重視します。クリエイティビティ、想像力や繊細さなどといった自身の持ち味を生かしながら他の人をサポートしたり、慈悲の心を広めたりするのが自分の役割だと感じることが多いでしょう。
人助けをして誰かの生活を改善させることに提唱者は大きな喜びを感じるでしょう。
他者を支援することが、自分の人生の目的だと考える提唱者は少なくありません。正義のために、いい意味でものごとに介入して声を上げるよう、いつも提唱者は心掛けています。公平で生きやすい世の中を作るために、深刻な社会問題の解決をも目指します。理想を追求するばかりに、自分自身のケアを怠ってしまうこともあるので、ストレスがたまり、燃え尽きてしまう場合もあります。
人と(そして自分自身と)つながる
提唱者は内向的ですが、偽りのない深い人間関係を大事にする人たちです。相手を心から理解し、自分も相手に深く理解してもらう。これができれば、提唱者はとてつもなく大きな満足感を得られます。雑談より、奥の深い会話を断然好み、周りに気を配りながら穏やかに会話に参加する傾向もあります。提唱者の高い洞察力と自分の気持ちに正直である様子に、周りの人は強く印象付けられるでしょう。
数人との偽りのない親密な人間関係は、提唱者の心を満たすでしょう。
気が利く上に慈悲深い人たちなので、人間関係にかなりのエネルギーを注ぎ、気遣いもします。でも、だからといって相手からいつも感謝されるとは限りません。とても思慮深い人たちなので、自分の善意が理解されないともどかしく感じることもあるでしょう。その結果、たとえ建設的な批判であっても、非常にショックを受けたり傷ついたりすることがあります。
自分の使命
多くの提唱者は自分の人生には特別な目的がある、つまり“この地球上で自分が果たすべき使命”があると感じています。この使命が一体何なのか見つけ出すことに大きな意味を感じていて、使命が何か分かったら、それに一生懸命取り組むのです。
不公平なことに遭遇しても、提唱者はほぼ決してあきらめることなく、直感と思いやりの心を軸にして解決策に取り組みます。頭と心のバランスを取ることが生まれつき得意なので、大小の社会悪を是正するのに最適な人材です。ただ提唱者が忘れてはいけないのは、他の人のケアをしつつも、時には小休止を取り自分自身をケアすることです。

提唱者型の有名人
Martin Luther King
Nelson Mandela
Mother Teresa
Marie Kondo
Lady Gaga
Nicole Kidman
Morgan Freeman
Goethe
Jon Snow
Game of Thrones
James Wilson
House M.D.
Aragorn
The Lord of the Rings
Galadriel
The Lord of the Rings
Tom Kirkman
Designated Survivor
Rose Bukater
Titanic
Desmond Hume
Lost
Aramis
The Three Musketeers
Michael Scofield

知恵熱

 マンガが完成しました。

 今回はなかなかハードでした。どうも自分は暑さに弱いらしく、8月はデスクに座るのも億劫で全然進まなかったのですが、なんとか完成させることができました。

 9月もまだまた暑いのですが、あらゆる制汗剤を買ってきて色々試していた。8月に比べ作業はできるようになったものの、マンガを描いていると汗だくになる。体の汗はなんとかなるのですが、頭の汗だけはどうも上手く対処できず、ヘアトニックをつけてもどうもスッキリしない。

 一昨日、行きつけの床屋さんに行ってきた。その床屋さんでは散髪後に頭にシューっとスプレートニックのようなものを吹きかけてくれる。それがカラッとしていて、とても気持ちがいいのだ。

 これは何なのか床屋さんに聞いてみたら、なんとシーブリーズを頭に吹きかけてくれていたらしい。シーブリーズはボディ用ローションという認識があったので、頭に吹きかけるという発想が思いつかなかった。

 その床屋さんでは、業務用のシーブリーズ(大きい容器に入っている)をスプレー容器に入れ、空気を圧縮して吹きかけているようだ。

 早速ドラッグストアに行ってシーブリーズを買ってきて頭にかけてみたら、これが気持ちいい。刺激が強いので目に入らないように注意が必要だが。

 とは言え、マンガを描いていると、どうも知恵熱が溜まってくる。なんだか体も痛くなってきたので、「これは風邪では?コロナでは?」と思って体温計で計ってみたものの、いたって平熱。「クソっ!これは早くマンガを完成させるしかねぇ!」と思い、痛い体に鞭打って、なんとか完成させることができた。

 

 そして一晩寝て、今日起きてみると、体の痛みもなく元気である。

 今日はノンビリ過ごす。

背景

 今は漫画の背景を描いています。

 今回の漫画の進み具合は結構遅れています。

 夏の暑さもありますが、背景で遅れた分も大きいです。

 たぶんそれは、自分の頭の中で漫画の背景が絵としてイメージできていないのだと思います。自分は漫画を描くときには既にあるアセットなどを、特にためらわず使います。なのでそれほど苦労はしないはずなのですが、きっと根本的な絵のイメージを考えていないのでしょう。

 僕の場合、漫画を描く前にまず文章でプロットを作ってシナリオをつくります。その方がページのボリュームを上げやすいからです。ところがいざ絵にして描いてみると初めて描く絵が多い。なので一枚の絵を描くのにとにかく資料をあさります。

 要するに文章では書けても、その絵を知らないのです。

 例えば「中性ヨーロッパのような建造物」と文章で書いていても、それを絵にするには、中性ヨーロッパのあらゆる建造物の資料を調べる必要があるわけです。

 そして向きやパースなども考えながら描くのですから、背景はなかなか大変。最近ではCG画像と連携しながら作るようなやり方もありますし、AIなんてものも使えるかもしれません、それでもやはり漫画の背景はじっくり腰を据えて時間をかけて取り組んでいったほうが、逆に早いような気がします。「急がば回れ」ですね。

 とりあえず3連休中に少しでも進めるように頑張ります。

有島武郎邸

今日は朝から「札幌芸術の森」に行ってきた。

 ここは札幌市の南区にある、とても大きな美術館で、通常の屋内の美術館の他に、野外美術館、工房、アトリエ、野外ステージなどがあり、様々なアート作品も展示してある。

 芸術の森は、やや勾配のきつい、山の中の森の中に存在している。広さは約40ヘクタール、東京ドーム9個分。なので歩くのは結構大変である。

最近、絵の「厚塗り」が気になっている。

道具を持っていないので厚塗りの感覚が全然分からず、デジタルで描いても、いまいちピンとこない。なのでやはり美術館で実物を見ることにした。ちなみにGLAYのTERUさんのインスタはよく観ている。

 屋内美術館はただいま工事中だった。外観は手を入れてないようでなので、内装だけを絶賛制作中なのだろう。ただ工芸館のホールの方に、大きな厚塗りの作品が展示してあったので、それを観ることができた。あまりにもGREATESTな作品だったので、自分で作るイメージが上手く想像できないのだが、まぁ観れてよかった。

 とりあえず厚塗りは観れたので、工芸館の近くにある「有島武郎旧邸」によってみた。

 有島武郎という人を全然よくわからないのですが、どうやらかなりの文豪のようで、数多くの小説を書いている人らしい。

 有島武郎は、元々英語の教師らしく、その後絵を描き、小説を書くようになったようだ。

 邸内はなかなか面白い。大正時代の建築物のわりに天井が高い。「伝声管」と呼ばれる、アナログの内線電話のようなものが付いている。

 この建物はもともと北大の方に建てられていて、そこを拠点にしていたのですが、その後建物をバラして、芸術の森に移動、そしてそこに再び作り上げたらしい。とても管理をしっかりされていて今日に至るまで末永く愛されている。

 

 有島武郎旧邸の中に展示してある、いろんな資料を観ながら思ったのは、この人が英語の教師から、どのようにして文豪になっていったのだろう?ということ。今も残されている原稿用紙から、とてもTHE GREATEST UNKNOWNのような感覚をを覚えた。

では、バーイ!勢喜遊(センキュー)!!

追伸、King Gnuのアルバム、予約しました。楽しみでござる。

楽器

今、NHKオンデマンドで朝の連ドラ「カーネーション」を観ている。

 このドラマはファッションデザイナーの小篠綾子さんをモデルにして作られた作品である。

 第15話、糸子がミシンに触ることができてテンションが上がっているシーン。なるほど糸子にとっての創作デバイスはミシンなんだな。糸子はこのミシンを使って色んなものを作るのだろう。

 創作者というのは、自分のお気に入りのデバイスが一つや二つあるものである。それが自分の創作意欲を高めてくれる。

 ただドラマを観ていて、気がついたことが一つある。

ミシンにせよ、ペンタブにせよ、画材にせよ、それは何かを創作するためのものである。しかし楽器に関しては少し違うように思える。

 楽器は創作もできるしプレイもできる一石二鳥のデバイスだと思った。

楽器以外でそんなことができるデバイスはあるのだろうか?う〜む、思いつかない。

何となくそう思ったよ。

「つづき」と「ふりだし」

 今回の漫画の完成は、もう少し時間がかかりそうです。なにせ暑くてどうしようもならなかった。

 そういえば札幌では蛾(が)が大量発生したみたい。週末に行く予定なのでちょっと恐ろしい。。。これも暑さのせいか。

 漫画は来月中に描きあげて、また次のシナリオを考えるのですが、どうも漫画というのは、一作描きあげるたびに、また「ふりだし」にもどるような感覚がある。

作品の最後のページに「つづく」と書いているのは、きっと読み手のためであって、自分はまた「ふりだし」にもどるのである。

 もしかしてクリエイターとプレイヤーの心理面の違いは、そういうところにあるのかもしれない。

 どんなことであってもプレイヤーというのは、「つづきの積み重ね」をやっているように思える。同じことを何度も何度も練習していくような。

 逆にクリエイターは「ふりだしの繰り返し」なのかもしれない。漫画でも絵でも同じものを描くことはない。

 実際のところは、クリエイター的な部分とプレイヤー的な部分を混ぜ合いながら行っているところもあるのだが、気持ちの上では「つづき」か「ふりだし」なのだ。

 最近はNHKオンデマンドで「ゲゲゲの女房」を観ている。漫画家のドラマを観てから自分の漫画を描くとテンションがあがるのだが、同時にドラマの続きが観たくなるものだ。

アナログとデジタルの割合

 連日暑い日が続く。

今日は朝から図書館に行き(なぜなら空調が効いているからだ)、文章表現の本を読みながら、ノートに必要なことを書き留めていた。

なんだか学生の自習のように図書館で勉強しているわけだが、最近観た「クイーンズ・ギャンビット」の影響でチェスをしながら作戦をメモしているような気分になれた。

 今日読んだのは「一瞬で心をつかむ文章術」という本で、どちらかというと技術書みたいな部類に入る。

なので多少その本からの抜粋(引用)となるのだが、「文章を書く」という行為はどうやら「後天的」なものらしい。

「文章を書く」いう行為は生まれ持ってのセンスではなく、後から自分で身につけるものである。

つまり多少なりとも文章を書くことができないと、次に進めないのである。漫画も同じで少なくとも絵を描くことができるから描いているのである。

 文章を書くスキルは、漫画を描くプロセスを応用すれば少しは上達するかもしれない。ただ今日実際に作業(メモだけだが)を進めてみて、「ほとんどの作業はアナログで対応できそうだ」と思った。

仮に漫画を描く時のアナログとデジタルの使用の割合を数字で表すとしたら、メモも含めるとアナログが1、デジタルが9くらい。時間のことではなく必要量の割合という意味である。

おそらく文章を書く行為の割合は、漫画とは逆でアナログが9、デジタルが1くらいなのかもしれない。デジタルを必要とする割合がワープロで執筆をする段階くらいしか思いつかない。実際の作業では執筆する前に色々と資料をまとめたりする作業が必要だし、いきなり文章を書くというわけではない。

アナログかデジタルか論争を考えてみると、自分の中でデジタルかアナログかの決め手は、ほとんど効率によるものが大きい。

漫画をアナログでやってしまうと、インクをこぼしたり、消しゴムのカスを取ったり、スクリーントーンを切って手を怪我したりと、色々と大変なことが多い。何よりコスパが悪いのだ。それでもアナログ漫画の作家さんが今もいるのはすごいとは思う。アナログでしか出せない味もあるから。

文章の場合そういった効率の部分では、それほどデジタルの恩恵を受ける部分が少ないかもしれない(ネットで調べ行為は別として)。文字変換や見やすい字にしてくれる部分は大きいとは思うが、それは執筆段階での話だったりする。

ちなみに、今話している「文章」というのは、後天的な努力によって磨かれた文章の話のことである。SNSとかの「言葉」の話ではない。

実際にはもう少し熟考してみないと分からないが、今の時代であっても必ずしもデジタルツールを使用しなければならないという訳ではないのだ。いかに自分にあった環境やツールを見つけ出すかということも大事である。

灯台下暗し

 今日も暑い。この暑さは何なのか?

今年の暑さの中では特にそうなのだが、自分は今までとは違って、この過酷な状況の中で無理やり漫画を描くためにパソコンを起動することをしなくなった。

今までは、どんな状況下であっても、色々場所を変えたりしながら漫画を描ければいいや。みたいなことを考えていて、その環境に合った漫画用のデバイス探しなんてのをやっていたが、どうもそれがベストとは言えない環境であることに気づき始めた。

例えば、単純にipadだけを持って、空調の効いた場所に行ったところで漫画の続きは描けないのだ。

様々な資料や模型やネットに囲まれた場所の方がやはりベスト。つまり家がベストだと言える。

そのベストの環境が暑くて厳しかったら、無理やりやらないようにしている。無理やり部屋にエアコンをつけてまでやるということも現状では考えてはいない。

最近は制作の作業の「負荷」について考えている。

今までは全くそんなことは考えず、黙々とやることだけを考えていたのだが、芥川賞を受賞した市川沙央の会見を聞いていて少し考えが変わったと思う。

市川さんは、「文章を書くというのは負担が軽い作業」みたいな内容のことを言っていた。

この「負荷」というのは、体力的な負荷のことで、制作自体の難しさのことではないと思う(なぜなら文章は難しい)。

自分は自分が漫画を描くときの体力的な負荷のことなど、全然考えたことがなかった。

あぁ、そういうことか!と納得した。

まぁ、漫画は週末に集中的にやるとしよう。

さて、今回のテーマは「灯台下暗し」ということなのだが、何が「灯台下暗し」なのか?というと、それは「言葉」と「日本語表現」についてである。

おおよそ私達が普段話しているのは「言葉」であって「日本語表現」ではないと思う。

自分が思う「日本語表現」というのは、気温や湿度があり、匂いがするものだ。

同じ日本語でも「言葉」と「表現」では違うということだ。

「日本語表現」と言っても、古文のようなものでもなく、難しいものでもなく、おそらく調べればすぐ見つかるものだ。

重要なのはその「組み合わせ方」だと思う。

いかに読み手(聴き手)に違和感なく、気温や湿度や匂いを伝えることができるかだ。

小説の描写表現でも、それらの表現を上手く組み合わせてできた文章は素晴らしい。

音楽で言うと、ユーミンの「春よ、来い」は日本語表現の組み合わせが素晴らしいと思う。

あの歌詞はそれほど難しい表現を使っているわけでもなく、とてもシンプルに、だが気温や湿度や匂いがする歌詞だと思う。

つまり「灯台下暗し」というのは、日本語表現を使いたければ、言葉を学ぶよりも、日本語を学んだ方が、より表現に近づくということだ。

日本語を学ぶなんて「おいおい外人かよ!」って思うかもしれないのだが、その先入観が「灯台下暗し」ということである。

追伸 市川沙央さんの言う通り、文章を書く行為は、漫画を描く行為よりも、体力的な負荷は軽いようだ。そこの環境を新たに構築しようと考えている。

クイーンズ・ギャンビット

  ネットフリックスで「クイーンズ・ギャンビット」というオリジナルドラマを観た。

以前から気になっていた作品なのだが、どうやらネットフリックス以外では観れないらしいので登録した。

 最近は色々と考えるところがあり、クオリティの高い作品をもっと沢山自分の頭の中に詰め込もうと思っている。

 この作品について色々感想を書こうと思ったのだけど、自分自身が方向性を整えて書くことができない。逆にそれが今の自分なんだろうけど。

とても良い作品だと思う。