今日はイオンに行ってライトダウンを買ってきた。
コートの中に着る服、セーターなども物色したのだが、どうもセーターでは冷気を遮断できないようだ。
昔はライトダウンなんて何のために着るのか?と思っていたが、どうやらレイヤー的に着るのにライトダウンは色々扱いやすい。暑ければコートかライトダウンを脱げばいい。小さく折り畳めるのでバックにもしまえる。
明日はコートとライトダウンを着て札幌に行ってくるよ。
今日はイオンに行ってライトダウンを買ってきた。
コートの中に着る服、セーターなども物色したのだが、どうもセーターでは冷気を遮断できないようだ。
昔はライトダウンなんて何のために着るのか?と思っていたが、どうやらレイヤー的に着るのにライトダウンは色々扱いやすい。暑ければコートかライトダウンを脱げばいい。小さく折り畳めるのでバックにもしまえる。
明日はコートとライトダウンを着て札幌に行ってくるよ。
つい最近の話。
冬物のコートを買った。ミズノの「ブレスサーモ」というシリーズのコートで、イオンのブラックフライデーで半額で購入できた。
今まで、冬のアウターはスキーウェアの上着ばかり着ていた。スキーをするわけでもないのにスキーウェアを着ていたのだが、これが結構軽いし、暖かいし、動きやすくて重宝するのだ。特にこっちの冬はマイナス10℃、20℃となる場所もあるので、いざとなったらオシャレもクソもないのである。
ただ、今年の冬はその考えを少し変えてみようと思ってコートを買ったのだ。もしかしたらこの冬は少しお出かけをする機会が多いかもしれない。なので若干オシャレも必要である。。
しかし、コートというのはダウンやスキーウェアと比べて結構寒いアウターである。ブレスサーモの生地は風を通さないし、撥水効果もあるようなのだが、やはりコートは袖口が開いているので、とにかく腕や手が冷える。
今まで中に着る服が適当だったということもある。それはやはり北海道は屋外は極寒なのだが、建物の中はそこそこ暖かいのだ。だから「アウターさえなんとかしてしまえば、あとは何とかなるさ!」的な考えをしていたようだ。
で、さっき「電熱手袋」を見てきたんだけど、これが少々値段が高く8千円から9千円くらいする。バッテリー付きとはいえ、ちょっと今のところは厳しいなぁ。電熱手袋はインナー手袋とアウター手袋があり、それも迷うところだ。バッテリーは7.5Vなので、バッテリーが切れた時、普通のモバイルバッテリーを使いまわせないようだ。
う〜ん電熱手袋はちょっと保留だな。もう少し一般的な考え方をしなければ。とりあえず明日、厚手のニットのセーターでも物色してこようと思っている。やはりコートを着るための装備が全体的に貧弱なのだ。
帰りに、セブンイレブンで炭酸水を買ってきたよ。トリスハイボールを飲むよ。
来年泊まるホテルを3箇所予約した。
ちょっと来年から色々と行くところがあり、早いけど今のうちに予約だけでもしておこうと思った。その方が安いし、すぐ取れるし、キャンセルもしやすい。
一つが旅行で、もう一つが新年会、そしてあと一つがライブである。
旅行以外は別に泊まる必要もないのだが、3つとも冬の時期に集中しているので、あまり行き帰りで寒くて面倒な思いをしたくないという部分もある。なので来年のKing Gnuのライブは何時間でもやっていいよ(個人的にはだが)。
まぁ、寒い中電車を待ちながら、思いにふけるってのもアリなのだが、今年来年の冬は「温活」に励むことにした。数日前「電熱ベスト」を買って試してみたが、これがとても暖かくって気持ちがいい。まるでコタツを着て歩いているみたいだった。暖かくするっていうのは大事なことだ。なのでできるだけ暖かい感じでいこうと思う。
ヒートテックやムートンの手袋でもいいのだが、体が冷え切ってしまった状態だと全く効果がない。外側から暖かくしないとホントにヤヴァい。基礎代謝にも限界があるのだよ。
そんな感じだyo!
漫画を描き終え、とりあえず今は漫画に使用する模様の練習をしようと思う。
漫画というのは、同じ絵を何回も描かなくてはいけないので、模様はある程度シンプルにしたい。
ただそのシンプルな模様というのがよく分からなくて、いろいろ考えていたのだ。
例えば、服の模様を探そうとして雑誌を読んでも、模様のないものの方が多いような気がする。
もちろん模様がついている服が好きではない人もいる。おそらくファッションというのは「形」が大事なのかもしれない(分からんけど)。
で、着物とかだと模様の入ったものが多いと思い、調べてはいたのだが、どうも着物の模様は複雑過ぎてよく分からない。分からないものは描けない。
つい最近、別の用事で本屋さんに行ったところ、ふと「ゼンタングル」という描き方があるようだ。
このゼンタングルというのは、まぁちょっと見てもらえば分かるのだが、こういったものだ。
一見複雑そうに見えるような模様。でもそれを紐解けばシンプルな形状の組み合わせだったりする。
これなら自分も理解できる。要するにこの各形状の形を別のものに置き換えれば、また別の模様が出来上がるのだ。その繰り返しだから、難しくはない。
近いうち漫画に使ってみるよ。
今日、KANさんが亡くなったというニュースを見ました。
KANさんの容態は特に公表されることがなかったので、「来年あたり完全復活かな」「完全復活の漫画でも描こうかな」なんて思っていました。
KANさんのライブには、チケットは4回取ったものの2回しか行けませんでした。
行けなかった理由はコロナ禍のピークであったことと、大雪で身動きが取れなかったことなのですが、それでもKANさんのライブは行われていました。もちろんライブは仕事でもあるので、やらなくてはいけないものなのですが、あの時の状況下でなぜここまでやれるのだろう。って思いました。
こう書いてしまうと、当たり前のことだと思われるかもしれませんが、なんだろう、、、たぶんその時、リアルタイムの状況で、僕はなんだかKANさんという人間の凄さ、狂気、執念のようなものを感じていました。
KANさんとはライブで見るだけだったのですが、そうですねぇ、、、もしかしたら僕の描いた漫画を読まれていたのかもしれませんね。そんな気がするわ!
漫画を描く最初の頃は、僕は全然ネタが思いつかず、困っていた時に、ふとKANさんのTwitterの写真を見て「木村さん」というキャラを出してみました。当時は自分の漫画のネタの作り方も確立されておらず、とりあえず困ったら木村さんのキャラを描くような感じで進めていました。そうやって漫画を作っていくうちに「自分はこういった感じで作りたいんだな」というのが分かってくるようになりました。まぁある意味KANさんに覚醒されたようなもんですね。
そうですねぇ、今日はか昼くらいに悲報を見て、それからしばらく考えて、「もしかして一世一代のジョークなのでは?」と思ったりしながら過ごしていましたが、やっぱ現実なんですね。なんだか寂しいです。
とはいえ、なんだかKANさんに対してはダジャレの一つでも言っておきたい部分もあるので、なかなかしんみりしたことも書けなかったりします。
なんでしょうね、コロナ禍に入ってから僕の中では急に時が加速したような感覚をよく感じます。つい最近でも親戚が二人亡くなってしまいました。僕はSF映画を観るのが好きなのですが、そういった部分で考えると、人は生きながら次元だけが突然変わってしまうのかな?急に時が速くなったのかな?なんて思ったり。
なんだか文章がまとまっていないようなので、こんな感じにしておきますが、やっぱりKANさんがいないのは寂しいです。ほなサイババ!
ウイスキーは奥が深い。
今日は『ニッカウヰスキー余市蒸留所』に行ってきました。高速道路を走って少し早く着いたので、少し街並みを見てきました。
街自体は落ち着いた感じで過ごしやすかったです。
久しぶりに大根を干している光景を見ました。
こっちは余市駅。
駅にもウイスキーの樽が置いてありました。
そしてやっぱこれ、マッサン。
ニッカウヰスキー余市蒸留所は駅と目と鼻の先くらいにある、重要文化財にも指定されているレトロな建物です。そしてここが見学予約者用の入り口になっています。
ドアのカギまでレトロでしょ。
中に入ると、見学ツアーがビジターセンターから始まり、乾燥塔、粉砕・糖化棟、醗酵棟、蒸留棟、混和棟・・・へと続き、最後に貯蔵庫に行くわけです。
これはビジターセンター。竹鶴政孝の歴史と作業風景をざっと見ます。
敷地の風景。
醗酵タンク。
そしてこれが「ポットスチル」と呼ばれる、蒸留器。
石炭をくべて醗酵したものを蒸留するわけですねぇ。
で、こっちが旧事務所。ニッカウヰスキーは元々「大日本果汁株式会社」という名称だったのですが、その「日」と「果」の文字を取って「ニッカ」という名称になったのです。
ここが「RITA HOUSE」。竹鶴政孝の妻「リタ」さんの名が付けられていて、ウイスキーの研究所になっていたようです。その後カフェのような店となり、今は耐震強度の関係で中には入れないそうです。
これが竹鶴政孝邸。元はここよりも1キロくらい先の場所にあったらしいのですが、こちらに移設したらしいです。洋風な建物となっていますが、二階の部分は障子になっているそうです。国際結婚されていたので、和と洋の入り混じったお宅になっております。
こちらは貯蔵庫になります。ニッカウヰスキー余市蒸留所の敷地面積は東京ドーム3個分、その大半を占めるのはこの貯蔵庫です。貯蔵庫は作られた順に番号がふられていて、1番の貯蔵庫はここで初めて作られた貯蔵庫だそうです。
貯蔵庫に保管されたウイスキーは長い年月をかけて熟成されます。
この見学ツアーの最後にはウイスキーの試飲ができます。今回は車で来たのでソフトドリンクだったのですが、いつか試飲してみたい。写真は試飲室入り口と試飲室内です。
そんな感じで、なかなか楽しい一日になりました。
ようやく涼しくなった。っていうか、もうすぐ雪が降るよ。
北海道の秋はアホみたいに短く、クソ暑い夏が終わったと思ったら、もう冬支度である。
漫画は毎日描いています。
毎日描いている割にはそれほど進み具合が速くない。おそらく最初のころと比べて画力は向上していると思うのだが、描くスピードが追いついていないのだろう。中川翔子さんみたいに素早く描ければいいのだが。
で、今描いている漫画は二つのストーリーを進行するような感じで描いている。時系列的に同じなので。今回はこちらのストーリーを描いているよ。
今回の漫画は20ページになります。
新キャラも少し出します。
例えばこのキャラ
まだ青色でネーム段階なんだけど、明日赤色で下描きをして、黒色でペン入れをします。
デジタルなのでネームからペン入れも可能なんだけど、線がゴチャゴチャしているんで、下描きをしてからペン入れをします。
こちらのストーリーは、これから船を出します。船長はもちろんあの人。
このキャラも当然出ます。
他にもいろんなキャラが出ます。
今月中にはアップしたいです。
そんな感じです。
じゃぁね!
今日のタイトルは「原作と表現」。まぁ、大体こんな感じのことを書きます。
よくドラマやアニメのオープニングで「原作〇〇」「作〇〇」なんて書いてあったり、音楽なら「曲先」「歌詞先」なんて言葉が流行ったりしていた。今日書く話はそれよりもう少しパーソナルな部分の話をしようと思う。
前回書いた「3DCG」の話、自分の中ではそれは表現の一つであって、その根幹には何かしら原作のようなものがあるように思える。
皆さんはAdobeのイラストレーターってソフト知ってる?グラフィックスソフトの一つでロゴやイラストなどのデザインに使用するんだけど、昔それを教本を読みながら一生懸命覚えた時があったんですわ。
ある程度練習して、いざ自分で作品を作ろうとしたんだけど、全然思いつかなくって。「もしかしたら、その元となる絵か何かが必要なのでは?」と思い、絵を描こうとしたんだけど、何を描けばいいのか分からず、「ワシャ何のためにイラレを覚えたのやら」ってときがあったんですね。
今考えると、イラストレーターというソフトは表現をするためのソフトで、元となる絵もまた表現だったんだな。きっともっと深いところに原作のようなものが存在していて、僕はそれを作らないといけなかったんだと思います。
僕は漫画を描いてはいるんだけど、誰かに漫画の原稿用紙を渡されても漫画を描けないんですね。絵を描こうと思っても、いきなり描けるという訳ではない(デッサンは描けると思うが)、つまりAdobeのイラストレーターのことを例にあげて考えてみると、僕にとって漫画は表現なんですね。その根幹には別のものが存在する。僕の場合それは文章なんですわ。
まぁ、さらに掘り下げると文章ですら表現の一つとも言い切れなくもないのですが、とりあえず僕は文章でシナリオを書いて、それを元に漫画を描く人間らしい。
ここ数週間ほど、「漫画と3DCG」について考えている。
Adobeのサイトで「浅野いにお」先生の特集が組まれていたからだ。「ソラニン」を描いた人といえば分かるだろうか。「CGWORLD」という雑誌に浅野いにお先生の制作についての記事があったので読んでいたんだよ。
浅野先生のように、写真や3DCGを漫画に組み込むというやり方には、色々とメリットがあったりする。おおよそは背景制作に組み込まれると思うのだが、漫画の背景というのは、描くのに結構時間と労力を必要とするものである。浅野先生のようなプロの漫画家だと締め切りというものが存在するため、雑誌連載の場合、どこまで背景を描き込めるのかという問題もある。
写真や3DCGを上手く組み込めれば背景制作にかける時間も大幅に削減できる。
逆にデメリットもある。写真や3DCGを上手く組み込むことができないと、漫画の絵がコラージュっぽくなり、人が手描きした絵に比べて味がしないような感覚を覚える。
例えばバイクの絵を3DCGで描くのと、Dr.スランプで鳥山先生が手描きしたバイク絵を比べると、圧倒的に後者の方が見栄えがいい。
ただ浅野いにお先生は元々アナログで漫画を描いていた方なので、そこら辺のバランスも上手く調整しているように思える。映像作品にもなったりしているので、ストーリーも良い作品なのでしょう。
3DCGを使った漫画の現在地はCGWORLDを読んで大体分かってきた。
逆に、近藤聡乃(こんどうあきの)先生のように、手描きで構図が素晴らしい漫画もあるので、何が良いのかは、作品のバランスや描き手の考え次第なのでしょう。
昨日の夜、漫画を描きながら、King Gnuの常田さんのインスタライブを観ていました。
その中で常田さんがお客さんの「ノリ」について話していたのが、ちょっとだけ気になりました。
なるほど、要するに常田さんとしては、お客さんにもっとノッてほしい訳ですな。
そのことについて、お客さん目線から、何かしら書こうと思ったのですが、、、たぶんこういった悩み(?)というのは、どのミュージシャンでも考えていそうなことだと思います。
最初、僕はKing Gnuはワンマンの場数を多くこなしていなかったからかなぁ、特に地方だとKing Gnuのワンマンライブなんて知らないからかなぁ。コロナもあったしなぁ。なんて思っていました。
もちろんそういった部分もあるとは思うのですが、ただライブのノリというのはファンやミュージシャンが育てるものだと思うところもあるのです。
「育てる」とは言っても、時間のかかるものもあれば、一瞬で会場が沸くようなものもある。
僕の場合は、とある推しの強いファンの人たちや、とある我の強いミュージシャンに育てられて、ライブのノリを学んだようなものです。
僕は元々ライブのノリなんてものは全然分からず、いつも推しの強いファンの人たちのやり方を真似ていました。ライブのフリやセリフ(決まり文句のようなものかなぁ)などは、どうしてもタイミングが合わせられないので、過去のライブ映像を観て予習復習をしていたものです。
その我の強いミュージシャンとはいうと、僕のライブのノリがあまりよくないと、「じ〜っ」とこっちの方を見られるときがありました。最初は「気のせいかな?、ちょっと知らんふりしとこ」なんてシカトしてたんですが、それすら許されず目と目を合わすまで、ずっと見られていました。
Zeppのライブの時などは、押しくら饅頭(まんじゅう)にされながら、推しの強いファンの人たちにふっ飛ばされながら、体でノリについて学びました。
つまり、ライブのノリというのは受け身であってはならないということですね。
ミュージシャンとしては、お客さんにどういったノリを求めているのか、意思表示する必要があります。それをお客さんが学習し、やれるようになった背中を、新しいお客さんが真似ていくわけですね。地方ですとその回数が東京よりも少ない訳ですからライブのノリは少々盛り上がりづらいかもしれません。そこで初めてワンマンライブの場数の重要性に気づく。そこが次の課題だと思います。