「普通のこと」カテゴリーアーカイブ

楽器

今、NHKオンデマンドで朝の連ドラ「カーネーション」を観ている。

 このドラマはファッションデザイナーの小篠綾子さんをモデルにして作られた作品である。

 第15話、糸子がミシンに触ることができてテンションが上がっているシーン。なるほど糸子にとっての創作デバイスはミシンなんだな。糸子はこのミシンを使って色んなものを作るのだろう。

 創作者というのは、自分のお気に入りのデバイスが一つや二つあるものである。それが自分の創作意欲を高めてくれる。

 ただドラマを観ていて、気がついたことが一つある。

ミシンにせよ、ペンタブにせよ、画材にせよ、それは何かを創作するためのものである。しかし楽器に関しては少し違うように思える。

 楽器は創作もできるしプレイもできる一石二鳥のデバイスだと思った。

楽器以外でそんなことができるデバイスはあるのだろうか?う〜む、思いつかない。

何となくそう思ったよ。

「つづき」と「ふりだし」

 今回の漫画の完成は、もう少し時間がかかりそうです。なにせ暑くてどうしようもならなかった。

 そういえば札幌では蛾(が)が大量発生したみたい。週末に行く予定なのでちょっと恐ろしい。。。これも暑さのせいか。

 漫画は来月中に描きあげて、また次のシナリオを考えるのですが、どうも漫画というのは、一作描きあげるたびに、また「ふりだし」にもどるような感覚がある。

作品の最後のページに「つづく」と書いているのは、きっと読み手のためであって、自分はまた「ふりだし」にもどるのである。

 もしかしてクリエイターとプレイヤーの心理面の違いは、そういうところにあるのかもしれない。

 どんなことであってもプレイヤーというのは、「つづきの積み重ね」をやっているように思える。同じことを何度も何度も練習していくような。

 逆にクリエイターは「ふりだしの繰り返し」なのかもしれない。漫画でも絵でも同じものを描くことはない。

 実際のところは、クリエイター的な部分とプレイヤー的な部分を混ぜ合いながら行っているところもあるのだが、気持ちの上では「つづき」か「ふりだし」なのだ。

 最近はNHKオンデマンドで「ゲゲゲの女房」を観ている。漫画家のドラマを観てから自分の漫画を描くとテンションがあがるのだが、同時にドラマの続きが観たくなるものだ。

アナログとデジタルの割合

 連日暑い日が続く。

今日は朝から図書館に行き(なぜなら空調が効いているからだ)、文章表現の本を読みながら、ノートに必要なことを書き留めていた。

なんだか学生の自習のように図書館で勉強しているわけだが、最近観た「クイーンズ・ギャンビット」の影響でチェスをしながら作戦をメモしているような気分になれた。

 今日読んだのは「一瞬で心をつかむ文章術」という本で、どちらかというと技術書みたいな部類に入る。

なので多少その本からの抜粋(引用)となるのだが、「文章を書く」という行為はどうやら「後天的」なものらしい。

「文章を書く」いう行為は生まれ持ってのセンスではなく、後から自分で身につけるものである。

つまり多少なりとも文章を書くことができないと、次に進めないのである。漫画も同じで少なくとも絵を描くことができるから描いているのである。

 文章を書くスキルは、漫画を描くプロセスを応用すれば少しは上達するかもしれない。ただ今日実際に作業(メモだけだが)を進めてみて、「ほとんどの作業はアナログで対応できそうだ」と思った。

仮に漫画を描く時のアナログとデジタルの使用の割合を数字で表すとしたら、メモも含めるとアナログが1、デジタルが9くらい。時間のことではなく必要量の割合という意味である。

おそらく文章を書く行為の割合は、漫画とは逆でアナログが9、デジタルが1くらいなのかもしれない。デジタルを必要とする割合がワープロで執筆をする段階くらいしか思いつかない。実際の作業では執筆する前に色々と資料をまとめたりする作業が必要だし、いきなり文章を書くというわけではない。

アナログかデジタルか論争を考えてみると、自分の中でデジタルかアナログかの決め手は、ほとんど効率によるものが大きい。

漫画をアナログでやってしまうと、インクをこぼしたり、消しゴムのカスを取ったり、スクリーントーンを切って手を怪我したりと、色々と大変なことが多い。何よりコスパが悪いのだ。それでもアナログ漫画の作家さんが今もいるのはすごいとは思う。アナログでしか出せない味もあるから。

文章の場合そういった効率の部分では、それほどデジタルの恩恵を受ける部分が少ないかもしれない(ネットで調べ行為は別として)。文字変換や見やすい字にしてくれる部分は大きいとは思うが、それは執筆段階での話だったりする。

ちなみに、今話している「文章」というのは、後天的な努力によって磨かれた文章の話のことである。SNSとかの「言葉」の話ではない。

実際にはもう少し熟考してみないと分からないが、今の時代であっても必ずしもデジタルツールを使用しなければならないという訳ではないのだ。いかに自分にあった環境やツールを見つけ出すかということも大事である。

灯台下暗し

 今日も暑い。この暑さは何なのか?

今年の暑さの中では特にそうなのだが、自分は今までとは違って、この過酷な状況の中で無理やり漫画を描くためにパソコンを起動することをしなくなった。

今までは、どんな状況下であっても、色々場所を変えたりしながら漫画を描ければいいや。みたいなことを考えていて、その環境に合った漫画用のデバイス探しなんてのをやっていたが、どうもそれがベストとは言えない環境であることに気づき始めた。

例えば、単純にipadだけを持って、空調の効いた場所に行ったところで漫画の続きは描けないのだ。

様々な資料や模型やネットに囲まれた場所の方がやはりベスト。つまり家がベストだと言える。

そのベストの環境が暑くて厳しかったら、無理やりやらないようにしている。無理やり部屋にエアコンをつけてまでやるということも現状では考えてはいない。

最近は制作の作業の「負荷」について考えている。

今までは全くそんなことは考えず、黙々とやることだけを考えていたのだが、芥川賞を受賞した市川沙央の会見を聞いていて少し考えが変わったと思う。

市川さんは、「文章を書くというのは負担が軽い作業」みたいな内容のことを言っていた。

この「負荷」というのは、体力的な負荷のことで、制作自体の難しさのことではないと思う(なぜなら文章は難しい)。

自分は自分が漫画を描くときの体力的な負荷のことなど、全然考えたことがなかった。

あぁ、そういうことか!と納得した。

まぁ、漫画は週末に集中的にやるとしよう。

さて、今回のテーマは「灯台下暗し」ということなのだが、何が「灯台下暗し」なのか?というと、それは「言葉」と「日本語表現」についてである。

おおよそ私達が普段話しているのは「言葉」であって「日本語表現」ではないと思う。

自分が思う「日本語表現」というのは、気温や湿度があり、匂いがするものだ。

同じ日本語でも「言葉」と「表現」では違うということだ。

「日本語表現」と言っても、古文のようなものでもなく、難しいものでもなく、おそらく調べればすぐ見つかるものだ。

重要なのはその「組み合わせ方」だと思う。

いかに読み手(聴き手)に違和感なく、気温や湿度や匂いを伝えることができるかだ。

小説の描写表現でも、それらの表現を上手く組み合わせてできた文章は素晴らしい。

音楽で言うと、ユーミンの「春よ、来い」は日本語表現の組み合わせが素晴らしいと思う。

あの歌詞はそれほど難しい表現を使っているわけでもなく、とてもシンプルに、だが気温や湿度や匂いがする歌詞だと思う。

つまり「灯台下暗し」というのは、日本語表現を使いたければ、言葉を学ぶよりも、日本語を学んだ方が、より表現に近づくということだ。

日本語を学ぶなんて「おいおい外人かよ!」って思うかもしれないのだが、その先入観が「灯台下暗し」ということである。

追伸 市川沙央さんの言う通り、文章を書く行為は、漫画を描く行為よりも、体力的な負荷は軽いようだ。そこの環境を新たに構築しようと考えている。

クイーンズ・ギャンビット

  ネットフリックスで「クイーンズ・ギャンビット」というオリジナルドラマを観た。

以前から気になっていた作品なのだが、どうやらネットフリックス以外では観れないらしいので登録した。

 最近は色々と考えるところがあり、クオリティの高い作品をもっと沢山自分の頭の中に詰め込もうと思っている。

 この作品について色々感想を書こうと思ったのだけど、自分自身が方向性を整えて書くことができない。逆にそれが今の自分なんだろうけど。

とても良い作品だと思う。

訪問者

まずはこれを見てほしい

今日のブログの訪問者数である。

まぁ、予想通りなのであるが訪問者数は少ないものである。

これがSNSだともう少し上がると思う。

ただ個人的には数年SNSに投稿してきて、投稿を沢山すれば、それなりに見る人は増えるものだ。

そして自分も他の人のSNSを見ることになっている。

自分から「見る」というよりは、お互いに見させられているようにも感じることがある。

特にその状態を否定はしないが、きっとSNSというのはそんな感じなのだろう。

 つまり、SNSにしろ、テレビにしろ、ラジオやYouTubeにしろ、広告にしろ人はどこかしら受動的なものに引かれる部分が大きいのだ。

自分もつい最近YouTubeで見たNetflix動画のあらすじを見ていて、それが気になって仕方がないほどだった。

特にSNSともなると、誰もが気軽に発信でき、誰もが気軽に受信できるから人気があるのだろう。

ただ、俯瞰的に見ると、こういったもので一喜一憂したり、死人が出たり、社会問題になったりするというのは、ちょっと滑稽に思えてしまう。

まぁ勿論嫌ではないが、そこで得られた自分の感情や感覚が正しいものかどうかは、しっかり見極めておく必要があると思う。

個人的には今日このサイトに訪れた一人の訪問者の方が大事だがね。

能動的な人

 何となくインスタを見ていたらPerfumeのあーちゃんが、とあるミュージシャンの展示会に行ったそうだ。そしてそのミュージシャンのレコードを探しに「はしご」したのだそうだ。

なんて能動的な人だと思う。

 と言いつつも、最近自分も週末に理由もなく電車で札幌に行き、その時に行きたい場所の情報をスマホで調べることが多い。

 コロナが解除になって、街もコロナ前と同じような賑わいを見せている。

やはり街に出て自分の目で色々見たり、考えたり、調べたりしている状態というのは、とても健全なように思える。

 もちろんコロナ禍以前もそうだったのだが、漫画をずっと描いていたせいか、自分の中で別の見方ができるようになったらしく、もしかしたら以前よりもよく観察しながら街を歩いているのかもしれない。

 昔、タカトシブームという時期があって、その時の街の景色が自分の中ではとても輝いて見えたものだ。あの時のタカトシ人気はすごかったし、やはり地元ということもあったのかもしれない。

 今は自分の中では、それに近いような感覚があったりする。

特に〇〇ブームという訳ではないのだが、やはりそういう時の人の心理というのはどこか能動的なのだろうと思った。

 

 

EMS運動器

 昨日、こんなん買ってみた。

Maxell EMS運動器

まぁこういった類いのものと言えば、シックスパッドが有名だが、高いのと初めて使うものなので手頃なものを買ってみた。

予備のゲルパッドは純正ではないものをAmazonで注文中。

そうだなぁ、使用感としては痩せるのを目的とはしない方がいいかもしれませんね。

整骨院などにある電気あんまに近い感じで、筋肉の部位を運動させる目的ならいいかもしれない。

補助的なものですね。

ただ電気の力はそこそこ強くて太ももなどの大きい筋肉に装着すると良いリハビリ感を味わえる。

で、今気になっているのが、足裏を乗せるタイプ。シックスパッドのメーカーから出ているのでもいいし、マクセルのでもいいので一つ手に入れたい。足周りの運動不足には良いらしい。

本当は運動施設にでも行けばいいんだけど、仕事やマンガ制作や渋滞(人の渋滞も含む)にあったりすると、そうそう自分の時間の使い方の効率も微妙で、ただ忙しいだけになってしまうので、多少の補助もあった方がいいと思った。

痩せるかどうかは別の話ではあるが。

コメント欄👺😃

 僕の投稿には、別にあってもなくてもいいのですが、一応コメント欄というものを設けさせている。

ただ、見て分かるように相手の情報を書き込む欄もつけている。これが多少SNSとの違いではあるのだが。

まぁコメントがあろうがなかろうが自分は書くタイプなのだが、おそらく一部の有名人やタレントさんのWEBページには、このようなコメント欄がないか、もしくは有料課金でないとコメントできないか、WEBページそのものがないか。だと思われる。

個人的には、そういった人のWEBページほど、無料のコメント欄は設けてほしいものだが。だからコメントの手段がSNSしかないのかもしれない。

SNSというのは拡散力が強いから、良いものでも悪いものでも拡散されてしまう。

なのであえて、こういった形のコメント欄を設けてみた。