知恵熱

 マンガが完成しました。

 今回はなかなかハードでした。どうも自分は暑さに弱いらしく、8月はデスクに座るのも億劫で全然進まなかったのですが、なんとか完成させることができました。

 9月もまだまた暑いのですが、あらゆる制汗剤を買ってきて色々試していた。8月に比べ作業はできるようになったものの、マンガを描いていると汗だくになる。体の汗はなんとかなるのですが、頭の汗だけはどうも上手く対処できず、ヘアトニックをつけてもどうもスッキリしない。

 一昨日、行きつけの床屋さんに行ってきた。その床屋さんでは散髪後に頭にシューっとスプレートニックのようなものを吹きかけてくれる。それがカラッとしていて、とても気持ちがいいのだ。

 これは何なのか床屋さんに聞いてみたら、なんとシーブリーズを頭に吹きかけてくれていたらしい。シーブリーズはボディ用ローションという認識があったので、頭に吹きかけるという発想が思いつかなかった。

 その床屋さんでは、業務用のシーブリーズ(大きい容器に入っている)をスプレー容器に入れ、空気を圧縮して吹きかけているようだ。

 早速ドラッグストアに行ってシーブリーズを買ってきて頭にかけてみたら、これが気持ちいい。刺激が強いので目に入らないように注意が必要だが。

 とは言え、マンガを描いていると、どうも知恵熱が溜まってくる。なんだか体も痛くなってきたので、「これは風邪では?コロナでは?」と思って体温計で計ってみたものの、いたって平熱。「クソっ!これは早くマンガを完成させるしかねぇ!」と思い、痛い体に鞭打って、なんとか完成させることができた。

 

 そして一晩寝て、今日起きてみると、体の痛みもなく元気である。

 今日はノンビリ過ごす。

背景

 今は漫画の背景を描いています。

 今回の漫画の進み具合は結構遅れています。

 夏の暑さもありますが、背景で遅れた分も大きいです。

 たぶんそれは、自分の頭の中で漫画の背景が絵としてイメージできていないのだと思います。自分は漫画を描くときには既にあるアセットなどを、特にためらわず使います。なのでそれほど苦労はしないはずなのですが、きっと根本的な絵のイメージを考えていないのでしょう。

 僕の場合、漫画を描く前にまず文章でプロットを作ってシナリオをつくります。その方がページのボリュームを上げやすいからです。ところがいざ絵にして描いてみると初めて描く絵が多い。なので一枚の絵を描くのにとにかく資料をあさります。

 要するに文章では書けても、その絵を知らないのです。

 例えば「中性ヨーロッパのような建造物」と文章で書いていても、それを絵にするには、中性ヨーロッパのあらゆる建造物の資料を調べる必要があるわけです。

 そして向きやパースなども考えながら描くのですから、背景はなかなか大変。最近ではCG画像と連携しながら作るようなやり方もありますし、AIなんてものも使えるかもしれません、それでもやはり漫画の背景はじっくり腰を据えて時間をかけて取り組んでいったほうが、逆に早いような気がします。「急がば回れ」ですね。

 とりあえず3連休中に少しでも進めるように頑張ります。

有島武郎邸

今日は朝から「札幌芸術の森」に行ってきた。

 ここは札幌市の南区にある、とても大きな美術館で、通常の屋内の美術館の他に、野外美術館、工房、アトリエ、野外ステージなどがあり、様々なアート作品も展示してある。

 芸術の森は、やや勾配のきつい、山の中の森の中に存在している。広さは約40ヘクタール、東京ドーム9個分。なので歩くのは結構大変である。

最近、絵の「厚塗り」が気になっている。

道具を持っていないので厚塗りの感覚が全然分からず、デジタルで描いても、いまいちピンとこない。なのでやはり美術館で実物を見ることにした。ちなみにGLAYのTERUさんのインスタはよく観ている。

 屋内美術館はただいま工事中だった。外観は手を入れてないようでなので、内装だけを絶賛制作中なのだろう。ただ工芸館のホールの方に、大きな厚塗りの作品が展示してあったので、それを観ることができた。あまりにもGREATESTな作品だったので、自分で作るイメージが上手く想像できないのだが、まぁ観れてよかった。

 とりあえず厚塗りは観れたので、工芸館の近くにある「有島武郎旧邸」によってみた。

 有島武郎という人を全然よくわからないのですが、どうやらかなりの文豪のようで、数多くの小説を書いている人らしい。

 有島武郎は、元々英語の教師らしく、その後絵を描き、小説を書くようになったようだ。

 邸内はなかなか面白い。大正時代の建築物のわりに天井が高い。「伝声管」と呼ばれる、アナログの内線電話のようなものが付いている。

 この建物はもともと北大の方に建てられていて、そこを拠点にしていたのですが、その後建物をバラして、芸術の森に移動、そしてそこに再び作り上げたらしい。とても管理をしっかりされていて今日に至るまで末永く愛されている。

 

 有島武郎旧邸の中に展示してある、いろんな資料を観ながら思ったのは、この人が英語の教師から、どのようにして文豪になっていったのだろう?ということ。今も残されている原稿用紙から、とてもTHE GREATEST UNKNOWNのような感覚をを覚えた。

では、バーイ!勢喜遊(センキュー)!!

追伸、King Gnuのアルバム、予約しました。楽しみでござる。

楽器

今、NHKオンデマンドで朝の連ドラ「カーネーション」を観ている。

 このドラマはファッションデザイナーの小篠綾子さんをモデルにして作られた作品である。

 第15話、糸子がミシンに触ることができてテンションが上がっているシーン。なるほど糸子にとっての創作デバイスはミシンなんだな。糸子はこのミシンを使って色んなものを作るのだろう。

 創作者というのは、自分のお気に入りのデバイスが一つや二つあるものである。それが自分の創作意欲を高めてくれる。

 ただドラマを観ていて、気がついたことが一つある。

ミシンにせよ、ペンタブにせよ、画材にせよ、それは何かを創作するためのものである。しかし楽器に関しては少し違うように思える。

 楽器は創作もできるしプレイもできる一石二鳥のデバイスだと思った。

楽器以外でそんなことができるデバイスはあるのだろうか?う〜む、思いつかない。

何となくそう思ったよ。

「つづき」と「ふりだし」

 今回の漫画の完成は、もう少し時間がかかりそうです。なにせ暑くてどうしようもならなかった。

 そういえば札幌では蛾(が)が大量発生したみたい。週末に行く予定なのでちょっと恐ろしい。。。これも暑さのせいか。

 漫画は来月中に描きあげて、また次のシナリオを考えるのですが、どうも漫画というのは、一作描きあげるたびに、また「ふりだし」にもどるような感覚がある。

作品の最後のページに「つづく」と書いているのは、きっと読み手のためであって、自分はまた「ふりだし」にもどるのである。

 もしかしてクリエイターとプレイヤーの心理面の違いは、そういうところにあるのかもしれない。

 どんなことであってもプレイヤーというのは、「つづきの積み重ね」をやっているように思える。同じことを何度も何度も練習していくような。

 逆にクリエイターは「ふりだしの繰り返し」なのかもしれない。漫画でも絵でも同じものを描くことはない。

 実際のところは、クリエイター的な部分とプレイヤー的な部分を混ぜ合いながら行っているところもあるのだが、気持ちの上では「つづき」か「ふりだし」なのだ。

 最近はNHKオンデマンドで「ゲゲゲの女房」を観ている。漫画家のドラマを観てから自分の漫画を描くとテンションがあがるのだが、同時にドラマの続きが観たくなるものだ。

プレイヤー環境

 最近ランニングを始めた。

 ここ数年間、コロナ禍で家にばかりいたせいか、漫画や執筆などのクリエイター環境のことばかり考えていた。

 運動といえば定期的に近所のプールには通っていたのだが、そのプールが改修工事のため、しばらく使用できなくなった。なので、しばらくの間ランニングをすることにした。

 ランニングは一般的には手をつけやすいスポーツだと思われているが、それでも快適にプレイするためには、プレイヤー環境についても考えるべきだと思った。ここでお話しするのは、体力向上や技術向上の話ではなく、あくまで「快適さ」の話である。

 ちなみにここで言う「快適さ」とは、主に「荷物」「着替え」「ロッカー」「シャワー」について話す。

 ランニングには屋内施設を使用する場合と、屋外の公園などを使用する場合がある。

 「屋内体育施設」の場合。
 主に困るのはシャワーを浴びるときの荷物置き場。ランニングといえど、そこそこの装備があるのでシャワーを浴びるときに、脱いだ装備を置くスペースが狭いこともある。
 屋内体育施設には、当然ロッカーが設置してあるのだが、たいていの体育施設のロッカーは有料だったりする。ロッカーを自由に開閉できる時間は地域にもよるがロッカーを使用してから15分間くらいだ。運動してからシャワーを浴びるときには、もうすでに時間が過ぎているので、もう一度ロッカーを使用するには、また代金を入れなければならない。
 数分間シャワーを浴びるだけなのに余計にロッカー代を払うのは現実的ではない。

 スポーツクラブやジムなどであれば、ロッカーの開閉は自由な施設も多いと思うが。ランニングをするだけなら市営の体育施設で十分なはずだ。
 なのでその場合は別途スパバック(ジムバック、スイムバック)等を用意して、ロッカーに入れる荷物とは別に持ち運ぶのがいい。トレーニング室にスパバックを置く場所があればの話だが。
 勿論、ロッカー代無料の体育施設があればいい。それは住む地域によって異なる。

 「屋外」の場合。
 一番困るのは屋外である。
 家から走りだし、家に戻るのなら荷物やシャワーについては気にすることはないが、住宅街だと信号もあるし、車も通るので、快適に走れない場合もある。
 そういうこともあり、公園や河川敷を利用したりするのだが、そこにはロッカーがなかったり、着替える場所がなかったり、当然シャワーもないのだ。車を利用できない人なら、なおさら困る。
 
 これについては、長らく手立てがなかったのだが、ここ最近こちらの地域にも「ランステ(ランニングステーション)」というものができたらしい。皇居ランでおなじみのランステ。ランステとはランナー専用のパウダールームのようなもので、こちらの地域ではホテルの一部を使用している。駐車場もあるし、着替えもできる。荷物もスタッフが預かってくれるし、シャワールームもある。

 日本は、各地に良い運動施設がある。運動場も多い。だがプレイヤーが快適に過ごせる環境については、まだまだ考える余地は沢山あるように思う。

残像と幸福論

「人が強い恐怖心に打ち勝つには、それなりの幸福が必要である」

今日は朝から病院に行き、いつも飲んでいる胃の薬をもらってきた。

春頃に胃の調子を崩してから、ずっと強い胃の薬を飲んでいる。

それから大分体の調子が落ち着き、そろそろ弱めの薬に切り替えようかと思っていたのだが、やはりまだ一番調子の悪かった時のことがフラッシュバックされ、今回も同じ薬にした。

まぁ、特別あせる必要もないので少し時間をかけて、ゆっくり治していこうと思う。

人の人生において過去のトラウマの一つや二つはあるものだ。

このトラウマというのは、なかなか厄介なもので、体の調子よりも心の調子の問題となってくる。

ただ今回の胃の病気のトラウマは自分にとっては全然軽い方で、時間の経過とともに回復するはずである。

ただ、トラウマによってはなかなか暗闇から抜け出せない種類のものもあり、しまいには心の調子の悪さが体の調子にまで悪影響をおよぼしてくることもあるのである。

そのトラウマは人それぞれであり、恋愛や災害、何かで上手くいかなかった経験、などなど、人はメンタルの乱れによる影響を受けやすい。

人は外見以上に中身はもろいのである。

対処法としては、カウンセリングを受けたり、同じ境遇の人たちと共有したり、それである程度は気持ちが楽になるものである。

もしそれで元に戻らなかった場合はどうする?

これは自分の経験から話をするが、自分があまりにもつらい経験をし、共有できる人もおらず、ず~とトラウマから逃げられない場合はどうするのか?

その場合、そのトラウマを払拭(ふっしょく)できるくらいの幸福を見つけ出すのである。

映画「ハリーポッター」のセリフを引用させてもらうとするならば「暗闇の中でも幸せを見つけることができる。明かりを灯すことを忘れなければ」ということである。

それが恋愛や結婚だったり、旅だったり、環境を変えてみたり、、、色々試してみて、その時間だけでもそのトラウマが少しでも解消される感触があれば、それが幸福なのだ。

そんな自分にとって幸福だったこと、それは自分が音楽のライブに行くことだった。

環境

ブックオフでオンライン注文していた文章関連の本が届いた。

日本語大辞典が思っていたよりもデカかった。

とりあえず今は少しずつ揃えていこうと思う。

今のプランとしては、こういった資料を集めつつ基本的には図書館で勉強していこう思う。

特に今年の夏は暑いので、部屋でゴリゴリと勉強したくはない。外の環境で比較的こなしやすいのは文章関連だ。図書館は空調が効いているので良い。

文章の知識を使って何かしら作ろうかとも思っているのだが、今のところそういったプランもなく(あったら先に書くと思う)、ただ普段漫画を書いていると、漫画を構成している要素には文章も関わってくる。現状では漫画は家でしか描かないので、それができない状態だと(なぜならクソ暑いからだ)何だか何も進んでいないような気もする(実際には言うほど思っていないのだが)

自分は元々文章というのはあまり得意ではないのですが、年々苦手なものを克服することに喜びを感じるようにもなっている。当然のことながら文章というのは漫画以外の色んなシーンでも使うこともあるし、書いたことを理解しておけば当然喋ることもできるわけだ。まぁ用途が広いってことですな。

環境も家限定ではなく、図書館や多目的ルームなど使えるから環境のチョイスの幅も広いのである。

なので、クソ暑い今はそんな活動を重視しているのだ。

まぁ、文章はこれでいいとして、今ちょっと考え中なのが「絵」である。

漫画を構成する要素には当然絵の要素もからんでくる。

絵だけの環境も少し充実させたいのだが、デジタルだけなら今の環境でもいいのですが、やはりアナログ絵も沢山描ける環境がほしいものだ。

例えば、油絵とかアクリル絵の具を使ったり、イーゼルを使ったり、要するに「アトリエ」ですね。ただ家の環境だとどうしてもそんなスペースがとれない。なのでどこかそういった環境を見つけてやれないかと考えている。

例えば美術館とかにそんな場所がないかなぁ。もしくはキャンプ場とかだと水が使えるからいいのでは?とか考えているのですが、水系は乾かさないとアレだしなぁ。とかちょっとしたハードルもあるように思える。

今の時代はどこでも描けるデジタルのタブレットなどが重宝されているようなのですが、デジタルでなければいけない理由がないのなら、アナログの方が画材選びも楽しいし、感触も楽しめるし、人生が充実しそうな気もするのだが・・・問題は環境なんだよねぇ。それにある程度コンスタントにできるような環境があるといい。

恥は掻き捨て(はじはかきすて)

 まず先に断っておきますが、このブログのプラットフォームは自分で作成したものです。なので通常のSNSのようなルールはなく、比較的自分の自由に書けます。

とは言え、検索ワードに引っかかる時があると思いますので、法に触れるようなことは勿論書かない。

「超RIZIN.2」。

PPVを購入して、じっくり堪能しました。

今回のカードはなかなか良かったと思います。

選手のことはあまり知らないのですが、それぞれ特徴のある試合だったと思います。

やはりコロナ後というのもあったのか分かりませんが外国人選手の存在が光っていたと思います。

またPPVを購入して観ようかな。

格闘技のことはよく分かりませんが、今回の試合を観ていて特に外国人選手と日本人選手の力量の違いがあるという風には感じませんでした。

勿論実際試合をする選手からしてみれば、多少の違いも感じられるのかもしれませんが、どちらも勝つときには勝つし、負けるときには負けるものだと思いました。

試合内容から考察してみると、「アーチュレッタX扇久保」のように、お互いに何度か肌を合わせている者同士だと、お互いの手の内がわかっているだけに、ああいった拮抗した試合内容になっていくんだな。

逆に、「ピットブルX鈴木」になると、今まで肌を合わせたこともないような者同士だと、前評判など覆すような試合結果になっていくこともありうるのだと思いました。

力量があまりにも違う場合は除きますが、RIZINのカードは観る者をハラハラさせるカードが多いと思われる。

さて、ここからはちょっとSNS向きではない内容を書きます。

もしかしたら、このように書かれた方が気に入るのではないかと思いましたので、

「朝倉未来Xウガール・ケラモフ」

試合内容については、あっさり終わってしまったものですから特に感想はありません。

今回はただケラモフ選手が勝って、朝倉選手が負けたということであって、実力差があったとも思わない(試合終了が早すぎてよくわからないというのもあるし、若干私情もからむのだが)。

次やったら勝つかもしれない。

ただ今回の試合に関しては朝倉選手がおっしゃっていたように「ファンに申し訳ない」ということにつきるのでしょう。

やはりここは勝って、もっと盛り上げたかったはずだと思います。

「恥は掻き捨て」

このことわざの詳しい意味について語る気はありませんが、昔とある音楽のライブでこのようなことわざをよく使うミュージシャンに出会いました。

「ライブの恥は掻き捨て」なのだとか。

つまり、ライブという特殊な空間の中では、どんなに恥をさらしてもかまわない。

といったところでしょう。

今回の試合はとても残念でたまらないと思います。それはファンも一緒です。

ただ「恥は掻き捨て」なのです。

何度恥をかいてもかまわない。たとえ大恥をかいたとしても、それは全て掻き捨てとなるのです。

アナログとデジタルの割合

 連日暑い日が続く。

今日は朝から図書館に行き(なぜなら空調が効いているからだ)、文章表現の本を読みながら、ノートに必要なことを書き留めていた。

なんだか学生の自習のように図書館で勉強しているわけだが、最近観た「クイーンズ・ギャンビット」の影響でチェスをしながら作戦をメモしているような気分になれた。

 今日読んだのは「一瞬で心をつかむ文章術」という本で、どちらかというと技術書みたいな部類に入る。

なので多少その本からの抜粋(引用)となるのだが、「文章を書く」という行為はどうやら「後天的」なものらしい。

「文章を書く」いう行為は生まれ持ってのセンスではなく、後から自分で身につけるものである。

つまり多少なりとも文章を書くことができないと、次に進めないのである。漫画も同じで少なくとも絵を描くことができるから描いているのである。

 文章を書くスキルは、漫画を描くプロセスを応用すれば少しは上達するかもしれない。ただ今日実際に作業(メモだけだが)を進めてみて、「ほとんどの作業はアナログで対応できそうだ」と思った。

仮に漫画を描く時のアナログとデジタルの使用の割合を数字で表すとしたら、メモも含めるとアナログが1、デジタルが9くらい。時間のことではなく必要量の割合という意味である。

おそらく文章を書く行為の割合は、漫画とは逆でアナログが9、デジタルが1くらいなのかもしれない。デジタルを必要とする割合がワープロで執筆をする段階くらいしか思いつかない。実際の作業では執筆する前に色々と資料をまとめたりする作業が必要だし、いきなり文章を書くというわけではない。

アナログかデジタルか論争を考えてみると、自分の中でデジタルかアナログかの決め手は、ほとんど効率によるものが大きい。

漫画をアナログでやってしまうと、インクをこぼしたり、消しゴムのカスを取ったり、スクリーントーンを切って手を怪我したりと、色々と大変なことが多い。何よりコスパが悪いのだ。それでもアナログ漫画の作家さんが今もいるのはすごいとは思う。アナログでしか出せない味もあるから。

文章の場合そういった効率の部分では、それほどデジタルの恩恵を受ける部分が少ないかもしれない(ネットで調べ行為は別として)。文字変換や見やすい字にしてくれる部分は大きいとは思うが、それは執筆段階での話だったりする。

ちなみに、今話している「文章」というのは、後天的な努力によって磨かれた文章の話のことである。SNSとかの「言葉」の話ではない。

実際にはもう少し熟考してみないと分からないが、今の時代であっても必ずしもデジタルツールを使用しなければならないという訳ではないのだ。いかに自分にあった環境やツールを見つけ出すかということも大事である。