今日は、とても昔の話をしようと思います。
僕がまだ感受性とやらを全くコントロールできなかった頃の話です。今は自分なりに多少は感覚を安定させる術を身につけているつもりですが。
表現の世界。ミュージシャンにしろ、俳優にしろ、その人には何らかの「像(ぞう)」が付いてしまうものだ。「像」つまりその人の「イメージ」ですね。もしかしたら俳優の方がドラマや映画での演技がそのまま「像」になりやすいのかも。
今の時代はどうか分からないけど、昔はミュージシャンにも何らかの「像」を重ねて売り出していたのかな。もちろんそれがそのミュージシャンと一致していれば何も問題がない。例えば「ちっちゃなくせしてパワフルボイス」なんてキャッチコピーも実際そうなんだから全然良いと思います。
ところが、たびたび「像」と「本人」が一致してないなんてことがあるものです。「きゃりーぱみゅぱみゅ」さんのコラムにも何度かそのことが書かれていました。ただ人々にとっては、それだけミュージシャンの「像」というものが重要なものなのだろうとも思います。アイドルなんてまさにソレ。
問題はそのミュージシャン自身が自分の「像」に限界を感じてしまう時があるということです。「自分はこういうキャラじゃないんだけどなぁ」なんてこともあったり。
その場合もし二択あるとしたら、それは「その像をつらぬく」か「カミングアウトしてしまう」ことなのでしょう。
一番やってはいけないのが、「新たに別の像を作ってしまうこと」だと思います。そうするとファンが混乱してしまいますよね。そのミュージシャン本人にとってもよろしくないことだと思います。
昔そんな子がいて、その時僕は「素のままで行きなさい」なんて言ったことがあります。その時はそれで良いと思っていました。
ただ今考えると「素とは何ぞや?」なんてことも思ったりする。俳優が素で演技したりしないでしょうに。
では「プロとは何ぞや?」「職業」は置いといてプロであるということはどう言った状態?「すげぇな!プロだな!」と言うのはどのように感じられる?
なかなかミュージシャンというのは難しく、ファンによっては「像」を見たかったりもするだろうし、逆に「素」をみたい人もいるのかもしれない。
今日は久しぶりにこのミュージシャンのアルバムを聴いてみた。

このアルバムを聴いていると、「プロ」というものがとても分かるような気がする。
僕が思うにミュージシャンで言う「プロ」とは、その人のとても「コア」な部分なのではないかと思う。その「コア」同士の組み合わせによってできた音楽に今日僕は「プロ」を感じた。