「普通のこと」カテゴリーアーカイブ

お題「導くとは何か?」

 さっきブレイキングダウンの「溝口勇児」氏の記事を読んだ。溝口氏のXの文章は、とてもキレイで読みやすい。知的な方だという印象があります。

 そんな溝口氏、どうやらブレイキングダウンで逮捕者が続出していることに頭を悩ませているようだ。

 個人的には、そうなってしまうのはブレイキングダウンが悪いというよりは、その人の問題だと思います。ただ実際ブレイキングダウン出場者での逮捕者が出ているのも事実。なかなか難しい問題です。

 おそらくブレイキングダウンのコンセプトが、溝口氏の思ったとおりに働いていないのかもしれません。それをどうすればよいか?それは僕にもわからないです。

 ただここ最近「人を導くとは何か?」について考えています。人は何か(誰か)に導かれ、やがて誰かを導くようになるのが理想だと僕は思います。でもそれは簡単にできることではないとも思っています。

 僕の考えでは、「導く」とは「困難を困難だと思わなくなるような魔法をかける」ことだと思います。

 こめおさんや、後藤さん、ブレイキングダウンで有名になったとしても、その後はやはり困難な道を自ら歩いているのではないでしょうか?つまりブレイキングダウンが良い悪いという問題ではないと思うのです。

King Gnu 札幌ドームファイナルの感想

 今日は「京王プラザホテル札幌 プレミアフロア シングル」という部屋に泊まっています。

 今年は正月早々から、ホテルに泊まる機会が多いのだけど、特にお金持ちというわけでなく、コロナ禍にずっとJTBで「旅行積立」というものをやっていて、その積立金を使用している。まぁ積立をしてたのはいいのだが、特にどこにも行く予定もなかったし、第一コロナ禍だったしね。

 でも今回、京王プラザホテルを予約しておいて良かったですわ。今日札幌ドームに行った人は分かると思うけど、今の札幌ドームはアクセスに難がありますよね。公共交通機関は地下鉄のみだった。以前はシャトルバスが運行していて、人の流れもバラけていたのですが、現在の札幌ドームは色々あったせいかアクセスがなかなかヘビーでした。帰りは札幌駅まで3時間かかりました(歩いてもよかったかもしれん)。なので札幌駅の近くのホテルを予約しておいて良かったです。すぐ風呂に入って眠れる。明日の朝食ブッフェも楽しみだ。

 まぁ、あれは札幌ドーム側の問題なので別にいいのですが、King Gnuのライブは最高でした。そうですねぇ、やっぱオーディエンスの推しは凄まじいと思いました。久しぶりにあんな推しっぷりを観た。グッズもほぼほぼ完売したのではないでしょうか?

 King Gnuのファンというのは面白いもので、髪型とかを厳つく決め、革ジャンとかを着てるわりにキャピキャピな感じの人たちが多い(まぁ、ドームの人数からすると一部ですが)。あと比較的シャイなのか見た目武装してないように見えて、中にしっかり武装してきている人たちもいる(冬ってのもあるが)。ただライブが始まると同時にそれが一気に弾ける。なので一曲目からの、初っ端からのあのオーディエンスの勢いには正直びっくりした。

 以前、常田さんが「みんなが盛り上がってくれない」というようなことを言っていた気がしますが、、、てか、めちゃくちゃ盛り上がってるじゃねぇか!隣にいた女の子なんか、チョイチョイ曲に憑依(ひょうい)されてたわ!

 今日はとても気持ちいいライブでした。また来ておくれ!

 唯一心残りなのは、札幌ドーム側の問題で帰りが遅くなり、京王プラザホテルのクラブラウンジで酒と軽食を取れなかったのが残念だ。なので今日はコンビニ飯である。明日の朝食ブッフェに期待しよう。

DC3マスターコンテンツ

 今、クリスタ(クリップスタジオ)の機能にある「DCマスターコンテンツ」というものに登録して色々試している。

 この「DCマスターコンテンツとは何ぞや?」、何となく調べて分かってきたのだが、どうやら最近流行りの「ブロックチェーン」というヤツらしい。

 要するに、ちょっと理解するのは難しいと思うのだが、デジタルコンテンツを「モノ」として扱えるということです(まぁ、難しいよね)。

 デジタルコンテンツをモノとして扱えるのであれば、それの売買や譲渡、限定販売などができるということです(まだ、わからないよね)。

 つまり、そのデジタルコンテンツ自体が所有物となり、電子書籍やイラスト、音楽、映像などのデジタルコンテンツの配信元が、たとえ無くなっても、そのデジタルコンテンツを失うことがないということですね。

 まぁ、何というか、デジタルコンテンツに興味が無い人にとっては別にどうでもいい話なのですが、今の時代はやはり、「手に取れるモノ」と「デジタルコンテンツ」が入り混じった世界。

 音楽や映像などもサブスク中心となり、TSUTAYAは減少。もちろんアマゾンなどで、手に取れるモノを入手することはできますが、デジタルコンテンツの方が圧倒的に早い。

 ただ、そのデジタルコンテンツは本当に自分の所有物なのか?価値はあるのか?(売れるのか?)という部分だと思う。

 最初に戻るが、そのデジタルコンテンツを所有物とし、価値を付けたのがブロックチェーンだと考えているのだが。。。

 なかなか、わかりにくいよね。

 一般的には別にどうでもいいと思うけど(だからよくわからんのじゃ)、クリエイター目線から見たら、デジタルコンテンツを自分で売買できる機会が増えるのでいいのかもしれないけどねぇ。

 ただ、一般層(買う人)からしてみれば、今のところ、あってもなくてもいいような技術だと思う。難しいことは、もう少しバックグラウンドで働いてくれればいいのかもしれない。

伏線と伏線回収

 今日も何気に漫画を描いていました。

 漫画というのは面白いもので、まずそこに「伏線」が作られ、そしてその「伏線回収」が行われる。

 漫画に限らずですけどね。

 ただ、この「伏線」と「伏線回収」という行為、漫画の世界のことだけとは限らない。

 つい最近、このブログでも紹介した漫画の表紙のイラスト。Xでも上げているのだが、思っていたより見る人がいるのかな?個人的には最低5人くらいに見てもらえれば頑張れるタイプなのですが。

 あの表紙のイラスト。特にこれまで、ああいったイラストの練習なんて、ほとんどやってこなかったのですが、自分でも意外と上手く描けたような気がする。

 あんな感じで描けたのは、おそらく漫画を描いていたからなのでしょう。つまり漫画が表紙のイラストを描くための「伏線」となり、イラストを描くことが「伏線回収」となっていたような気がします。

 もしかしたら、過去にやってきた何かが自分の伏線となり、別の形で伏線回収されていることもあるのかもしれませんね。

 

偶然性

 何となく今日もノーザンホースパークに行ってきた。

 馬というのは不思議なもので、こんな寒い時期に外ではしゃいでも風邪をひかないようだ。

調べてみると馬は、寒さに強いが暑さに弱いらしい。

 今日は馬を見に来たというよりは、この施設の歴史、サラブレット育成牧場の歴史について知りたかったので、「ホースギャラリー」の方にお邪魔した。

 僕は競馬は全然やらないので、競走馬と言われても、いまいちピンとこなかった。

 だが、そういった競走馬を育成するには必ず人の手が必要というもの。

 ホースギャラリーには、競走馬生産牧場集団『社台(しゃだい)グループ』の創業者「吉田善哉(よしだぜんや)」の志が、社台グループ、競走馬の歴史とともにつづられていた。

 吉田善哉は、数々の名言を残している人のようで、その中で僕が気に入った言葉がある。

「生産者は、「預言者」でなければならない」という言葉である。

 この「預言者」という言葉に、僕は「音楽」を感じたんですね。

 音楽(ここでは歌詞付きの音楽のことをいう)というのは不思議なもので、ときどきミュージシャンの作った「その曲の意味」とは、違う方向性に向かっていくことがあると思うのです。その違う方向性に向かうということに「預言者」めいたところを感じるんです。

 だいぶ前、桑田佳祐さんがラジオで言ってたことなんだけど、宮城県のライブで、自分の作った曲とは違った意味での共感をお客さんがしだした時には、メンバー全員が「ヤバい!」と思ったらしいです。つまり震災の時のことを歌った曲ではないのに、会場中が震災を思い出してしまって、共鳴しだしたようなんです。その場の空気が全く変わってしまったのでしょう。

 おそらく、予言というのは、完全一致というものではなく、偶然性のようなことだと思うんですね。

 偶然性というのは、どんなにその数が多くても決して必然にはならず、ずっと偶然のままだから対処のしようがないもの。あまりにもそういった偶然性が多いと壊れてしまいそうですが、逆にそういう偶然性を引き寄せる力があるから長く音楽をやっていけるのかもしれません。

 以前書いた「天才は自然が作り、秀才は人が作る」の「天才」とは、偶然性のことかもしれませんね。

 今度ノーザンホースパークに行ったら、何に出会えるか楽しみだ。

この日

 スマホで写真を撮っていると、ふとした時にスマホが自動的に「数年前のこの日」、つまり過去の同じ日に撮った写真を表示してくれることがある。

 今日スマホが提示した写真は「4年前のこの日」である。

 今はもうコロナ禍が収まったことになっている。それは良いこと。

 ただ、4年前のこの日の光景を思い出すと、あの時は、この後何が起こるのかなんて想像すらできなかった。「無知」というよりは、あまりにも事が大きすぎてアホになっていたのかもしれない。

 この頃はまだ、こっちでは感染は広まっていなかったのですが、それでもギュウギュウ詰めのzeppで雨具を着て、感染防止のような格好をしている様子は異常だと思った。そもそも室温も30度くらいにはなっていただろうに。

 いくら盛り上がるライブとはいえ、そんな格好をしてまで来るファンの姿を目の当たりにするのは、ミュージシャンとしても辛いと思う。なぜならあの光景は、やはり異常だったから。それもあったし、国からのご達しもあったので、そのあとのライブは中止。

 よく「一線を越えて」なんて言葉もあるのだが、おそらくあの時の光景が「一線」だったのかもしれないと思う。ただあの頃は、誰もその後のことなんて何もわかってなかったのだ。

 「これを教訓に」なんてのは、おそらく無理な話で、でも物事には「一線」というものが存在することを知った。

幸福度

 最近観たテレビ。

 BS朝日の「よき人生のヒント〜フィンランド 世界でいちばん幸せな冬へ」という番組。

[語り]上野樹里

 どうやらフィンランドという国は、国別幸福度NO.1らしい。

 番組を観ていて、フィンランドの冬の日常に感激しました。

 それと同時に、フィンランドの風景が、今自分が住んでいる地域とリンクする部分もあり、特に「馬ソリ」や「スノーモービル」などは、こっちでも普通にできるものなのでは?と思い調べたところ、「ノーザンホースパーク」が自分のイメージに近かったので行ってきました。

 なので、今日はノーザンホースパークの話です。

 ノーザンホースパークは、北海道苫小牧市に位置し、馬とのふれあいや、アクティビティなどが楽しめる場所となっております。

 車で行きやすいので、札幌からのアクセスも難しくないと思います。

 ですが今日は札幌圏が昨日の大雪の影響で路面状況が厳しかったのもあり、「ハッピーポニーショー」に間に合うように高速道路を利用して行きました。

 苫小牧市に入ると、雪は全然積もっておらず、昨日の札幌の大雪は、あまりにも局地的なものだと思いました。

 事前に調べてわかっていたのですが、やはり雪が少ないのでは馬ソリは運行できないようで、とりあえず今日はパークの下見ということにしました。

 気が向いたら何度でも来れるようにと、入場で年間パスポートを購入しました。

 

 ポニーは、足が短く、小さい馬で。

でも、なかなかすばしっこく、何気にジャンプ力もあるようです。

ただ馬という動物は、本当はジャンプが苦手らしい。

 

 

 厩舎(きゅうしゃ)には、よく見る足の長い馬達がいました。

 ここは動物園とは違い、馬との距離も近い。

 動物の小屋というと牛舎のようなものを思い浮かべて「ちょっと臭い」イメージがあると思いますが、厩舎は全然臭くなく、馬たちも職員さんたちによって大切に扱われているようで、VIP待遇のように思えました。

 

 

  今は冬期間ということで、閉館している建物や、できないアクティビティもあります。

 これが夏期間になると、サイクリングやセグウェイなどにも乗れるような広大な敷地を持った場所で遊べるようになるので、きっと幸福度も増すと思いますよ!

 

AI

  今日はNET RESORT【Y-topia】を観た感想と、自分がそこから考えたことを書こうと思います。

とりあえず、まだ配信が続いていますので、ネタバレしない程度に。

 

 まずは、ユーミン、バンドメンバーさん、スタッフの皆さん、学生スタッフの皆さん。ライブ完走おめでとうございます。とても楽しかったです。

 毎年恒例の苗場ライブ。今回でY-topiaは3回目の視聴となります(多分)。2月だけは予定をあまり入れず、Y-topiaを楽しむようにしています。

 今回は『AI』を使った背景でしたね。

AIはどこまで進化していくのだろう?

AIは人のようになれるのだろうか?

 以前何かの本で読んだ言葉があり、それと「AI」を重ねていました。

「天才は自然が作り、秀才は人が作る」という言葉なのですが、まぁ天才か秀才かは「もののたとえ」として考えるとして、やはりAIとは「人が作った秀才」なのでしょう。

 よく、映画などで「人工知能が人類に戦争をしかける」ような作品がありますが、それも「人が作った秀才」だけに、「人次第」だと思います。人の考え方次第で良くも悪くもなる。人のコントロール次第では、AIはとても素敵なバディになると思います。

 「AIは人のようになれるのか?」

どうでしょうねぇ。AI自身が「正しいより、楽しいを選ぶ(byYUKI)」ということができれば、そうなれるのかもしれません。

 

 そんな感じで、今後の配信も楽しみにしています。

 

制作の序盤・中盤・終盤

 今日はタイトル通り「制作の序盤・中盤・終盤」の話を書こうと思う。

皆さんは制作をするにあたり、どのような進め方をしていますか?

 ここ最近、YouTubeで「MacとWindowsの違い」に関する動画を観ていたら、このような動画を上げている方がいました。

 その中で、この方は制作に使用するデバイスを序盤と終盤に分けていたので、僕も少し頭の中を整理してみようと思いました。

 それがこれ、

 こうして観てみると、自分の制作の序盤は、何だか「日常」みたいである。

 もう少し細かい説明をしてみる。

・中盤のパソコンは元々は制作の終盤に使用していたのだが、漫画のページ数やレイヤーが多くなるにつれて、液タブでの描画中に遅延が起こるようになった。なのでスペックの高いパソコンを新たに導入した。

・終盤のパソコンは漫画制作以外のことはしておらず、液タブを使用しないときには、ほとんど電源すら入れない。

・Windowsパソコンは中盤、終盤ともにゲーミングパソコンである。元々コロナ禍でゲームをする目的で買ったのだが、いつの間にか漫画を描くようになった。制作のみならMacでもいいのでは?と思い、ここ最近Macについて調べていたのだが、制作途中で3DCGを使いパースの確認とかもする時があるので、結局グラボ(グラフィックボード)が入っているWindowsパソコンのままで良いと思った。

・序盤のChromebookであるが、別にiPadでもいいような感覚もある。

 しかしChromebookの場合、Flipタイプの回転式の2in1で、タッチパネルがついて、ペンも使えて、全然安いので特に違和感なく使えている。

 ただChromebookの場合、スペックを確認して買わないと、メチャクチャ遅い端末を買ってしまう恐れがあるので注意が必要。Windowsでもそういうことがあると思う。そこを考えるのが面倒な場合は、MacやiPadを購入した方が楽だと思う。

・スマホはGalaxyS23である。元々GalaxyS10を持っていたのだが、バッテリーがもたなくなってきたので最近購入した。Galaxyには折りたたみタイプやペン付きのものもあるので色々迷ったのだが、どれもみな同じようなCPUを使用しているみたいで、ハードのデザインが違うものだと思った。となった場合、自分は耐久性とコストパフォーマンスで。シンプルなタイプを選ぶことにした。

・制作のアイデアはやはり、普段どのようなものを観たり、聴いたり、読んだり、体験したりで決まるような部分もあるのかもしれない。

 と、まぁ、こんな感じなのだが、皆さんはどんな感じですか?

 ちなみに、このブログはほとんどChromebookで書いている。

「作品の奴隷」(by常田大希)

 今回は言わずと知れたKing Gnuの常田大希氏の言葉「作品の奴隷」の考察について、ちょっと興味深い資料を手に入れたので、そこから話を繋げていこうと思っている。

 今日読んだ本。芥川賞作家「川上未映子」さんのエッセイ集『世界のクッキー』から、「作家は物語のためにいる」の章に書いてある文章の引用である。

「物語は残っていても、人は誰も残っていない。そしてまた、人に読まれて継がれてゆくのも、物語以外にはありえない。そんな風にそれぞれの物語がそれ自身を認識させるために作家を選んでやって来て、俺は夢野久作、あたしサリンジャー、じゃあ僕は尾崎で、といった具合で作家は文字通り使い捨て、まさに物語のためにあり、われわれ読者が発見するのは結局いつも、物語そのものなのである。」(川上未映子『世界のクッキー』より引用)

 物語は長く受け継がれていく。

 その物語に選ばれた人物は、その物語を世に生み出すために、ときには過酷な労働時間を要し、ときには血を流すこともあるのかもしれない。

 だがそれがクリエイターの性(さが)である。

 物語に選ばれてしまったのだから、やるしかないのである。なぜならその物語はこの先、何十年も、何百年も、誰かに読まれるため、聴かれるため、観られるために存在するのだから。

 時に、その物語を作った作家さんのことを「先生」と呼ぶことがある。

 ここで言う「先生」という言葉は、もしかしたら「作品の奴隷」の代名詞で、尊敬と慰めの意味が含まれているのかもしれない。