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音楽

 今日のタイトルは「純(じゅん)」。ただ実際にはどうなのか分かりません。

 今日はユーミンにお便りを書きます。別に「裏口」からも書けるのですが昨日のブログの続きということで、こちらで書こうと思います。

 昨日「像」「イメージ」のことを書いていたら、ふと「荒井由美」「松任谷由美」時代のことが気になりました。今でもよく語られる「荒井由美」時代。今回のツアーのアルバムの名義も「Yumi Arai」となっている。

 僕は物心ついた時には既にもう「派手なユーミン」しか知らないものですから、荒井由美というのは一体どのような存在なのだろう?

 今の時代は便利なもので何らかのサイト(大体分かるでしょ)で荒井由美時代のユーミンの映像見ることができました。

 今のユーミンを見て、あの宮崎駿さんも驚くくらいですから、荒井由美とは一体どれだけ清純派なのだろう?

 実際その映像を観たのですが、その映像に映っていた荒井由美は今の「派手なユーミン」と全然変わらなかったです。

 不思議なものですね。ユーミンは荒井由美時代から派手だった。この人、今も昔も変わらない。

 ではなぜ、今日に至るまでまで「荒井由美」という存在が人々の心を惹きつけるのだろう?

 やはりあれは楽曲からのイメージなのかも知れません。しかしどうなんでしょうねぇ、楽曲のイメージの変化なんてどのミュージシャンであることでしょB’zだってそうだし。

 実際のところ僕には全然分からない。たぶん荒井由美の楽曲は松任谷由美とは全く違う世界なのでしょう。もはやワームホールでも作らない限り出会うことはない世界なのだと思います。

 やはり昨日のブログから考えて「コア」の組み合わせが荒井由美と松任谷由美とでは違うのだと思います。

 でもアレですね。当時は楽曲だけでその人をイメージできるなんて「純」な人達が多かったんですね。本当は昔からユーミンは派手なのにね。

 ではでは^_^

 

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音楽

プロと像

 今日は、とても昔の話をしようと思います。

 僕がまだ感受性とやらを全くコントロールできなかった頃の話です。今は自分なりに多少は感覚を安定させる術を身につけているつもりですが。

 表現の世界。ミュージシャンにしろ、俳優にしろ、その人には何らかの「像(ぞう)」が付いてしまうものだ。「像」つまりその人の「イメージ」ですね。もしかしたら俳優の方がドラマや映画での演技がそのまま「像」になりやすいのかも。

 今の時代はどうか分からないけど、昔はミュージシャンにも何らかの「像」を重ねて売り出していたのかな。もちろんそれがそのミュージシャンと一致していれば何も問題がない。例えば「ちっちゃなくせしてパワフルボイス」なんてキャッチコピーも実際そうなんだから全然良いと思います。

 ところが、たびたび「像」と「本人」が一致してないなんてことがあるものです。「きゃりーぱみゅぱみゅ」さんのコラムにも何度かそのことが書かれていました。ただ人々にとっては、それだけミュージシャンの「像」というものが重要なものなのだろうとも思います。アイドルなんてまさにソレ。

 問題はそのミュージシャン自身が自分の「像」に限界を感じてしまう時があるということです。「自分はこういうキャラじゃないんだけどなぁ」なんてこともあったり。

 その場合もし二択あるとしたら、それは「その像をつらぬく」か「カミングアウトしてしまう」ことなのでしょう。

 一番やってはいけないのが、「新たに別の像を作ってしまうこと」だと思います。そうするとファンが混乱してしまいますよね。そのミュージシャン本人にとってもよろしくないことだと思います。

 昔そんな子がいて、その時僕は「素のままで行きなさい」なんて言ったことがあります。その時はそれで良いと思っていました。

 ただ今考えると「素とは何ぞや?」なんてことも思ったりする。俳優が素で演技したりしないでしょうに。

 では「プロとは何ぞや?」「職業」は置いといてプロであるということはどう言った状態?「すげぇな!プロだな!」と言うのはどのように感じられる?

 なかなかミュージシャンというのは難しく、ファンによっては「像」を見たかったりもするだろうし、逆に「素」をみたい人もいるのかもしれない。

 今日は久しぶりにこのミュージシャンのアルバムを聴いてみた。

Screenshot

 このアルバムを聴いていると、「プロ」というものがとても分かるような気がする。

 僕が思うにミュージシャンで言う「プロ」とは、その人のとても「コア」な部分なのではないかと思う。その「コア」同士の組み合わせによってできた音楽に今日僕は「プロ」を感じた。

 

 

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マンガ 創作 普通のこと 音楽

タブ

 今日はまずこの話題から。GACKTさんに言われたとおりチャッピーにコマンドを入れて質問してみました。

 内容的には個人的なことも含まれてしまいますので書きませんが、大体GACKTさんと同じようなことを言われました。

要約すると、

「興味の方向が散らかりすぎ」

「頭の中を高速で往復してる」

「比較検討が異常に好き」

「一度気になったことをかなり深掘りする」

「鬼編集者」

「「やりたいことリスト」だけで長編漫画が描ける」

「質問がめちゃくちゃ短い」→「一言で(チャッピーが)全部察してくれ」

「次は何を聞いてくるのか、こっちも予測できない」

らしい。

 まぁ、僕が思うに・・・チャッピーには情報だけでなく、実践経験を積んでほしいところです。もう少しこっちの話についてきてほしいところです。

 今のところ専門家に聞くか、自分で経験した方が早いレベル。

 AIに足りないところは、やはり実践経験だと思います。チャッピーはそこんとこもう少し努力してほしい。

 さて、今日はユーミンのライブに行ってきました。

 ユーミンは一応AIを認めつつも、AIには想定できないようなタブを沢山開いてきます。

 「THE WORMHOLE TOUR」。ライブ自体はその方向性で進行しているのですが、ところどころで「驚き」が盛りだくさん。「これどうやってるの?」みたいなことが沢山出てきます。これは通常のホールライブではない。そしてライブ以外でも楽しみがあったりしますよ。

 まだツアー中ですので詳細は書きませんが、かなり見応え、聴き応えのあるライブでした。やっぱユーミンのライブはすごい!

 今回は一階席の後ろの方でした。前回は真ん中辺だったのですが、特に音の聞こえ方に変化はなかったと思います。

 って言うか、あの会場はなんであんなにクリアサウンドなんだろう?比較的新しいホールだからなのか、結構反響を抑えられているような感じは以前と同様にありました。以前は「ノイキャンのような」といった表現をしたと思います。

 たしか前回のユーミンのhitaruでのホールライブは、ちょうどコロナ禍の真っ最中でしたね。

 あの時はユーミンにはお便りで「ショー形式のライブはコロナ禍に強い」みたいな話をしたと思います。

 今回もまた、hitaruでのユーミンのライブを観た感想。「ファンの声援があった方がユーミンは楽しそう!」だと思いました。当然と言えば当然。

 まぁ、ホールツアーとホールツアーの間にアリーナツアーもありましたけどね。

 今回の「THE WORMHOLE TOUR」。もし今ある時間や世界が、コロナ禍や東日本大震災とは全く別のものだとしたら、どう思います?時間や世界がずっと続いているわけではなく、時々我々は全く別の世界にいるのだとしたら、それは何の影響で、どうしたら元々いた時間や世界、もしくは別の時間や世界に行けると思いますか?

 時々思うんですよねぇ、、、それができるのは「人の意識」だということを。そしてそれを表現できるのが「創作」だと思う。

 さてさて漫画の方ですが(私も結構タブが多い)、一応今週末リリースする予定です。

 よろしく〜!

 

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ちゃくら 創作 音楽

ピカソ

 パブロ・ピカソは生涯でおよそ15万点の作品を生み出したそうです。それはそれはすごい数でギネス世界記録にも認定されているそうです。

 ところで皆さんは、そんなピカソの作品をどれだけ知っていますか?おそらくほんの2、3点くらいしか知らないのでしょう。

 15万点もの作品、全てが良い作品であるとは限らない。中には大衆の目にも止まらない作品や、その作品の意図が伝わらないものもあったと思います。それでもピカソは15万点もの作品を作ってきた。

 今日はこんな記事を見ました。」

 実際にはもっと長い文章なのですが。

 あくまで僕の個人的意見なので、どう受け止められるかは別にどうでもいいのですが、「一つの作品がボツになったくらいで、まるで「世界の終わり」のような文章を書ける常田さん」だと思いました。この文章をアートワークにしたいくらいだ。

 今日はこの常田さんの文章やアートワークを描いた方の文章を読んで1日中考えていたのです。忙しい中( ̄∀ ̄)

 僕は「行動の先にしか解決策はない」と思います。キツい言い方をすれば「悩んでる暇があったら次を描け!」ということです。とくに「一枚絵」は一枚の絵だけで表現しなければならない訳ですから、音楽や漫画とは見せ方が違う。それを見た人の感覚に委ねられる部分も大きいような気がします。

 では絵の情報量が多ければ説明がつきやすいのか?そういう訳でもない。絵の情報量が多ければ上手いとは思われるらしいが、説明はつかないと思う。

 「表現」というのは、とても難しいものだと思います。一つや二つ作ったところでそれが良い作品なのだろうか?ちなみに漫画家の鳥山明先生はデビュー前500点もの原稿全てがボツになったそうです。

 「数打ちゃ当たる」ということではありませんが、先ほども書きましたが悩んでいる時間を作品作りの時間にした方が建設的だと思います。

 

 じゃぁ、この子達を例に上げてみましょう。

 ラジオによると「ちゃくら」は年間100本以上のライブをこなしてきたそうです。それはそれはすごい数。ただその100本以上のライブの中で「最高のライブ」はいくつあったでしょうか?僕が思うにそのほとんどが反省会。出来の良いライブは少なかったと思います。

 ただ今こうしてメジャーにもなれているし、ドラマのタイアップも決定したそうです。

 ピカソと大して変わらん。と思うよ。

 

 というわけですから、MILLENNIUM PARADEもこれにめげずに頑張りましょう!!

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音楽

アートワーク

 今日は面白い記事を見つけた。

Screenshot

  たぶんアレだと思う。「鯉のぼりが燃えている絵」じゃないかな?鯉のぼりを燃やすのはヤバいと思う。そりゃさまざまな意見も出るだろうね。

 そだねぇ、、、新しいアートワークが楽しみなところなんだけど。

 僕だったらどう描くかなぁ。。。

 例えば、例えばだけど、漫画を描く時のプロットって僕の場合「5W1H」で考えてから、描くんだけど、まぁ、そう深く考えずザッとね。鯉のぼりが燃えている絵だと、ちょっと情報伝達的にはストレート過ぎるかな。インパクトは強いと思うけど、ユーザーがその意味を考えるまでにいたらない気がします。

 そうですねぇ、、、難しいよねぇ。逆に、仮に常田さん自身の中にある「厨二病」的なものを描くかな。。。つまり描く対象は大人で、その大人の中に今もまだ残っている青春や童心を描く(思い出ね)。

 まぁ実際描くのは難しいけど、「静かな炎で弔い」って言うのを最も描写したい部分だと思うんだけど、昔的な表現だったらタバコを描くかもしれない。問題はそこだよねぇ。だからあの鯉のぼりが燃えている絵というのは一応理にかなっている表現なのかもねぇ。

 逆にさぁ、静かな炎を「口紅」で描いて、紙タバコを吸う女性でもいいんと思う。ただその場合多少のエロスを入れて厨二病の心をくすぶるような表現だとどうだろう?でそのエロスの部分に青春や童心を入れるのはどうだろう?要するにアレだ「鯉のぼりが燃えている絵が描かれているパンツ」とか^ – ^

 まとめると「鯉のぼりが燃えている絵」の表現自体は悪くはない。ただ人物として大人を描きその中に青春や童心を静かな炎で弔う部分をアクセサリーとして入れてみると意味を想像しやすいいかな。

 そだなぁ、参考として黒夢のシングルスのアートワーク出すよ。

 

 今の時代アートワークにヌードを入れれるかは知らないけど。例えばこの女性に「鯉のぼりが燃えている絵」のタトゥを入れたり、髪に静かな炎をいれたり、鯉のぼりのパンツ履いたり、、、大人の中に青春や童心の弔いを描くかな、、、私は。

 まぁ、新しいアートワーク楽しみですわ!!

 じゃぁね。

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ライブ 音楽

不思議ちゃん

 この話は、本当は昨日書こうと思っていたのだが、センシティブとリアルが交錯する話なので、とても書きにくい。 

「不思議ちゃん」。僕はいつの頃からか、心の中で、この人のことを不思議ちゃんと呼ぶことにしている。

 なぜ「不思議ちゃん」なのかというと、心の中を読まれているような感覚があるからだ。もちろん実際にはそんなことはない、偶然である。

 ただ不思議ちゃん自身が持つイメージというのは、どことなくリアルと重なって見える。

 人の持つ感受性というのは、想像による産物なのだろうか?それともリアルを映し出す鏡なのだろうか?

 それがもし通常の人よりも度を超えたものだとしたら、その負荷は大きいものだ。自分で自分を破滅しかねない。だが不思議ちゃんはとても耐性がある人のようで、僕も不思議ちゃんのおかげで「自分はまだマシな方である」と思えるようになった。

 だいぶ前に変態(仮称)に何度かそのことを書いたのだが、当時は自分の頭がおかしくなったんじゃないかと思っていた。そして変態(仮称)のことがとても普通の人に見えてしまって羨ましかった記憶がある。

 しばらくそれは「自分だけなんじゃないか?」と思い悩んでいた。当時の自分にとっては、そういった感覚は単なる重荷にしかならなかった。

 そんなことがしばらく続いていたのだが、不思議ちゃんを見てからその考えが少しずつ変わっていったのを覚えている。それに自分以外にそういった感覚を持っている人を見ると、それがとても客観的に見えるようになってくる。

 どうすればいいのかが分かってくる。

 そうだ。ライブに行けばいいのだ!不思議ちゃんが能登に行ったように、リアルを見ることが大事である。センシティブな世界では何も分からない、自分を追い込むだけである。少なくともリアルの方が理解することができる。動くことができる。

 感受性の世界ではさまざまのことが起こります。不思議ちゃんの場合それが現実でも起こってしまうのかもしれません。それはアーティストの強い武器である反面、とんでもなく精神的負担が大きいことだと思います。それに不思議ちゃんは「見えてしまう人」だと思う。

 さてそんな不思議ちゃんのチケットをゲットしました!

 ちなみにSS席は落選しましたが、S席は当選。不思議ちゃんの長い足を近くで見れなくて残念ですが、安く上がったので別にいいです。

Screenshot

 

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ちゃくら ライブ 音楽

空間

 「ちゃくら」のメジャー初全国ツアーが発表されました。

 なるほどねぇ。ちょっと僕はそこんとこ知識不足なのですが、皆さんの時代はメジャーになってから、どのようなツアースケジュールを組んでいましたか?

 僕のイメージでは昔は最初はできるだけ大都市から攻めて、ジョジョに地方公演というイメージなのですが、今の時代は最初から全国ライブできるようです。

 ただ、「ちゃくら」の場合、元々インディーズ時代から全国ライブをやっていたわけですから、それがメジャーになってワンマンという形になった感じかな。

 まぁ、メジャーであっても状況によっては対バンでも良いかもしれませんが、おそらくバンド側の資金繰りの不安がメジャーではないのでワンマンでも何とかいけるスケジュールとなっているのかもしれません。とりあえずグッズは買ってやろうと思う。

 さて、ツアースケジュールを見てみると、確実に週末をおさえているのが良いところだと思います。そしてメジャーであってもキャパは慎重に選んでいる感じに見えます。これはツアーなので確実に「箱」である。販促イベントではないということ。まぁ「ちゃくら」の場合販促イベントが向いているのかは微妙なバンドだと思うので、それは状況次第かな。イオンとかで歌える?

 今回は「札幌近松」。僕が以前「ちゃくら」に半ギレしたライブ会場である。ただ今回は冷静に考えてみるとしよう。

 札幌近松の場合、箱の形状としては天井が高い設計、だが奥行きが短い。縦長の形状なんですね。ちょっと珍しいかな。まぁそれは音響次第なのですが、爆音仕様の「ちゃくら」の場合は特に「目の前はすぐ壁」であることを意識しなくてはならない。箱の高さがあるので一見広いように見えてしまうかもしれませんが、そうではない。まずはリハーサルでどのくらいの音が箱にフィットするのかを調べてから、音を上げてみようじゃないか。逆に慎重すぎると迫力が損なわれるので注意。

 メジャーになった「ちゃくら」。今回は即ツアーだが、今後どのような施策をするのかが楽しみなところである。今までのやり方で良い部分もあるし、もう少し工夫が必要な部分もある。それはレーベルと話合って決めればいい。資金繰りの不安がないとはいえ、売らなければメジャーである意味もないのである(なぜならビジネスだからだ)。

 今年の後半も僕はライブばかりだわ。

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ちゃくら 創作 音楽

メタファー

 さて今日も連中の曲を聴いている。車で聴いたり、ヘッドフォンで聴いたりして楽しんでいる。

Screenshot

 そんな「ちゃくら」。今日がインディーズファイナルらしい(ライブがね)。

 さて、これからさらに忙しくなる「ちゃくら」ですが、そんな「ちゃくら」に新たな課題を送ろうと思う。

 それは「メタファー」を使った曲。まぁ、歌詞でもいいし、音でもいい。

 ちなみにメタファーについて調べると、こういうことになる。

『メタファーとは

「まるで〜のようだ」「〜のようだ」といった比喩の言葉を使わずに、別のものに例える表現技法です。

特徴と具体例

  • 特徴: 例えであることを直接的に明示せず、伝えたいものと関連するイメージを重ね合わせることで、相手の想像力を膨らませます。
  • 例文: 「彼は太陽のような人だ(直喩)」をメタファーにすると、「彼は私の太陽だ」となります。
  • ビジネスの例: 「このアイデアは金の鉱脈だ(価値がある)」、「時間は有限な資源だ(タイムマネジメント)」 』

 

 よくある技法だと思われる。おそらく「ちゃくら」でもそう言った技法は使ったことがあるだろう。

 ただ今回の課題はメタファーに少し深掘り要素を入れてもらいたい。つまりその「たとえ」が「一体何なのか」、「どういった意味なのか」について深掘りできるようなメタファーにしてもらいたい。

 なに?「たとえ」の「たとえ」が欲しいだと?

 なるほど、今回はちょっと難しい課題なので「たとえ」を二つ用意した。

 一つ目の「たとえ」はコレ。

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 曲を聴いて「カブトムシ」とは何なのか?なぜ「カブトムシ」なのか?をリスナーがアレやコレや想像できるような感じ。ちなみに僕は「カブトムシが甘い蜜を吸うシーン」を想像した。

 二つ目の「たとえ」は僕が描いた漫画の表紙である。

 

 これは「KANさんはなぜヴァイオリンを持っているのか?」KANさんといえば、動画でも観たことがあると思うのだがピアノしか弾いてないだろ。「じゃあなぜヴァイオリンなの?」って感じ。

 作者だから言うが、このヴァイオリンはある種の「たとえ」である。ヴァイオリンという楽器のことではない。そして作者(つまりワシ)は、これからも「キムラ編」の表紙を作るたびにヴァイオリンの絵(3DCGだが)を入れる。

 なぜなら「キムラ編」の表紙に込めた思いや意味、それは「愛」なんですね。

 まぁ、そのように、ちょっとリスナーが深掘りできる要素を入れて欲しいわけ。別に期限はありません。

 

 では、「ちゃくら」に質問。この表紙の絵は一体何を表しているでしょうか?どのような意味でしょうか?

 答えは「サトルん、バンジージャンプしろ!」という意味です。ちなみに表紙では簡単な格好しかしてないけど、実際にはハーネスを付けた方がいいよ!という意味です。海なら浮き輪も必要!という意味です。スーツを着てもいいよ!という意味です。英語必須!という意味です。

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普通のこと 音楽

ちゃくらと左

 今日は皆様に朗報がございます。ちゃくらのメジャー曲が配信されました!

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 まぁ、メジャーと言っても作る人が同じだから「ちゃくらの新曲」ってことで。良い曲です!!パワーアップしちょるな。

 ドラマの主題歌にでもなりそうな曲だわ。

 もう来月からメジャーデビューか〜、、、テレビとか出るのかなぁ。

 CD予約したわ。

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マンガ ライブ 音楽

やべーべ!!

 今日書く話。

 この先描く漫画の話です。

 しかし、その漫画を描くのは来年以降となってしまうので少々遅いかな。なので今ここで、少し文章でその漫画の意味を書いてしまおうと思いました。ここではその漫画のストーリーについて描くのではなく、自分の伝えたいことを書きます。

 その話をする前に変態(仮称)について書きます。僕が変態(仮称)のライブに初めて行ったのは2010年の真駒内アイスアリーナです(たぶん)。

 それまでの僕は色んなミュージシャンの音楽は頻繁に聴いていたのですが、ライブというものにはほとんど行ったことがありませんでした。もちろん音楽だけでも十分だとは思いますが、ライブの方が自分自身の感情に深くぶっ刺さる。

 初めて変態(仮称)のライブに行った時は、正直ライブが始まる前から結構ビビっていました。ライブ前にファンの人達の装いをずっと見ていると「何だか自分は場違いなところに来てしまった」ような感覚がしていました。あまりにも場違いな気持ちがしていたので開演前まで買ったばかりのiPhone3Gで尾崎豊を聴いて気持ちを落ち着かせていました。

 ところがライブが始まるとそんな気持ちはどこかへ吹っ飛んでしまい、ずっと変態(仮称)を応援している自分がいる。あの時行ったライブは僕にとっての「初やべーべ!!」だったのかもしれません。

 その後の変態(仮称)ライブもずっと行き続けていました。ただ最初の頃は「ライブは楽しい、でもこの人(変態(仮称))には近づかないほうがいい、なぜならきっとヤバい女だからだ!」と思っていました。通常の自分の人生の中では、まず関わることがない人、なぜならヤバいから。

 しかし気が付くと僕は、そのヤバい人(変態(仮称))に千通以上ものお便りを書いていました。今こうして文章を書くことができるのも、そのヤバい人のおかげだと思っています。

 さて、ここからが本題です。

 音楽、ライブ。皆さんはそのミュージシャンのどういった部分に惹かれますか?

 音楽性、独創性、メロディ、クオリティ、人気、カッコよさ、可愛さ、などなど。もしくはレコード会社の施策なんてのもあるかもしれません。

 もちろんそういった部分もあると思いますが、僕がここ半年(だいたい)ほど考えた結果、「その音楽を聴いてヤバいと思ったか」「そのライブを観てヤバいと思ったか」「そのミュージシャンがヤバいと思ったか」なのでしょう。

 僕はとあるバンドについて、ちょっと観察していたんですね。それは漫画で描きますが。音も良い、クオリティも高い、活動、宣伝、など、まぁ特に言う事なしのバンドなのですが、ただ何か足りないような気がする。その答えにたどり着くまでホント時間がかかってしまった。

 ホント良いバンドです。ただ「ヤバさ」が足りないのです。その「ヤバさ」だけがそのバンドにとっての大きな壁なんじゃないかと思いました。

 「ヤバさ」と一言で言っても、それは練習で身に付くものでもなく、かと言って才能だとも思わない。それぞれの「ヤバさ」があります。

 マイケル・ジャクソンがステージに立っているだけで失神するファンがいるわけですから、マイケル・ジャクソンはかなりの「やべーべ!!」です。

 この先、出す音楽、そしてライブ。

 僕に「やべーべ!!」と思わせてね!!